礼拝メッセージ

主の熱心が覆うとき

2014年10月05日 19:18
聖書箇所: イザヤ59:15-21 主はそのご自身の熱心により、私達を覆うと語りかけられています。これは他でもない、主の熱心によるのです。 私達の何ものにもよりません。 主が私達のこの国(この地)を愛し、惜しみ、だからご自身の熱心によって、覆われるというのです。 この国が罪に満ち、滅びに向かう。自分たちの力ではどうにもできない、この時だからこそ、神ご自身の熱心しか私達を救うことができない。だからこそ、主は私達にそのように語りかけておられるのです。 私達のどのような業も自らの罪を覆うことはできませんでした。 いや、人は創造の始めのとき、最初に人が罪に陥り、善悪の知恵の木の実を食べ、自分たち

キリストの統治の到来2

2014年09月28日 18:43
聖書箇所: 1ヨハネ2:18,19 私達が終末の時代を今のこの国に見るとき、それでもどこが自分の生活や信仰に関わるのかという疑問に、敢えてこの現状を見て見ぬ姿勢をとってはいないでしょうか。 確かに、大艱難の時代の預言に見る反キリストや偽預言者と言った存在は今は登場していないかも知れません。 また大淫婦や大バビロンという都市も、解釈はいろいろあり、そういう意味では今のこの日常に何の関連があるのかと思うかも知れません。 しかし、その本質はすでに創世記の中に、語られており。 人に罪が入ったその経緯、アダムとエバと神とサタンの関係の中に、あるいはバベルの塔を築いた人間の姿の中に、キリストの花嫁と

キリストの統治の到来

2014年09月21日 19:53
聖書箇所: コロサイ2:14,15 私達のこの地上での戦いは血肉による戦いではありません。それは霊の戦いであり、目に見える戦いではないということを先週もお話しました。 そして、それはこの地においては、このやみの世の主権者であるサタンと、真の全地の主権者であられる神との、主権と支配の取り合いであり、私達は本人がそれを自覚しようとも、自覚せずとも、その戦いの最前線に位置しているのです。 その支配の取り合いは、まず心から始まり、生活の場、私達が遣わされた全ての場所、さらにはこの時代で、そしてこの世界中で繰り広げられています。 なぜなら、全ての位も主権も、支配も権威も、全ては御子なる主イエスキリ

勝利者の戦い方

2014年09月14日 18:08
聖書箇所: エペソ6:10-18(参照 詩篇76篇) 主が私達に先立って戦われるとき、その戦いは私達が想像するのをはるかに超えた戦いとなります。 それは、あまりにも圧倒的なもの、人に戦うことすらゆるしません。 その武器はことごとく折られ、何の役にも立つことなく、やがてその戦いは平和の内に飲み込まれるのです。 しかし、その中心に「静まって、わたしこそ神であることを知れ。(詩篇46:10)」と言われる神の圧倒的なご臨在が満ちているのです。 この構図はやがて、主イエスが地上に再臨され、千年王国の統治に入られるときと同じもの。 その中心には主が居られ、主権者として主が全地を治められます。つまり、

主を喜ぶ力

2014年09月07日 20:17
聖書箇所: ネヘミヤ8:10 人は何とも高慢なことに、日々主が祝福してくださる驚くべきことを、当たり前のことのように考え、感謝をするどころか、不満を並べ、侮ることさえします。 それがどれほど驚くべき御業であったとしても、人の欲望は尽きることなく、やがて溢れる不満の中で神に逆らい続けていても、人にはその心の浅ましさに気づかないことすらあるのです。 何と人の心の卑しいことでしょう。 【民数記21:5-9】にはそのような人の浅ましい本質が語られています。 イスラエルの民が「この粗悪な食物(21:5)」と侮った神の恵み「マナ」は「天の穀物(詩篇78:24)」「天使のパン(詩篇78:25)」と言わ

祭壇の火を絶やさない

2014年09月03日 20:13
聖書箇所: レビ6:8-13 私達信仰者の生涯は、祭壇を建て続けたアブラハムの歩みがそうであったように、いついかなる時も主への礼拝を絶やさない者であり、そこを基盤として祝福を得ていく人生です。 そのことは祭壇を建てたという記述の存在しないロトの歩みと比較するのであれば明らかなものでしょう。 霊に属する人と肉に属する人の歩みの違いをそこに見ることができるのです。 そして、そのアブラハムが建てた祭壇のうち、最も喜ばれたささげものとなったのが、イサクを主にささげたモリヤの山での祭壇だったでしょう。 それは自分の最も大切なものをささげたものであり、またそれは同時に自分の全て、また自分の命をささげ

最上の香り

2014年08月24日 19:08
聖書箇所: ヘブル11:8-19 アブラハムはただ主のみを信じ、約束だけを携え、はるか遠く示された受け継ぐべき地へと旅立って行きました。 私達も、主に救われ、新しく与えられた命をもって、主のために生きていきたいと願った時、主から召しを与えられ約束と共に、自分の知らない、あるいは全く想像できない人生へと旅立ちます。 それが信仰者の歩み道。見えないものを見つめ続け、ただ主だけを頼りに歩む道。 アブラハムの歩みが決してまっすぐだったわけではなく、多くの失敗や、回り道があったように、私達の歩みも決してまっすぐではないかも知れません。 でも「アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。(創

主に届くとりなし

2014年08月17日 20:26
聖書箇所: ダニエル9章 今主は【ルカ11:47-51】の御言葉をもって、私達に「世の初めから流されてきたすべての預言者の血について、この時代がその責任を問われる。(50節)」と語ります。 この国は歴史上、これまであまりにも多くの聖徒達の血を流してきました。 それにも関わらず、この国はその血のゆえに建てられた今平和を自ら剣に変えようとし、またさらに多くの滅びに向かう重要な選択を今の戦後70年を間近に控えた時期に取ろうとしています。 しかし、この国が滅びに向かっていることの警告は、すでに主によって(今なお続く震災と汚染被害により)クリスチャン全体に語られていることでした。 この国が今の時代

主の主権にひれ伏す

2014年08月10日 19:18
聖書箇所: ダニエル4:34-37 主の願いはこの地に主がご臨在を現し、主ご自身がこの地を統治されることであり、その統治の完成した姿こそ、新しい天と新しい地の姿、黙示録21:22-22:5に語られています。 しかし、同時に同様の姿はエデンの園において、すでに存在していた(創世記2:4-17)ものです。 つまり私達人間は自ら犯した罪のために、地はのろわれ、そのエデンの園を出されたのであり、主から離れ、主の統治から離れて、自らの力で生きる道を選んだのです。 ここから神は、自らのご臨在を地に置くと共に、ご自身の統治を現すという、主の私達への一方的な愛によって、私達に少しずつ近づかれるという道の

伸べられる愛の御手

2014年08月03日 19:15
聖書箇所: ホセア11章 ホセアは預言者の中で、エゼキエルと並び、自分の体験を通して主の預言が現されるという特殊な預言者です。 彼は北イスラエル王国がアッスリアに捕囚される前に遣わされた預言者の一人です。 彼は、淫行から離れないゴメルという女をめとり、淫行によって生まれた子をも受け入れよ。という、特殊な召しを受けます。 しかし、そこには姦淫を離れず、偶像を神と崇め続け、神の愛を退け続けるイスラエル(淫行の女)の姿と、それにも関わらず愛し続け、その絶えることのない愛のゆえに、自分の元から離れ姦夫を追っていったその妻を、ご自分の元に取り戻そうと、御手を伸べ続ける主(ホセア)の思いを、ホセアの
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