礼拝メッセージ

携挙を望む霊

2014年02月23日 19:17
聖書箇所: ルカ17:22-37 私達の内に授けられた聖霊は、天から降った霊であり、またキリストの花嫁としての霊です。 それは天から来た霊だからこそ、私達を主の居られる天の御座にまで引き上げる霊であり、また花嫁の霊だからこそ、花婿キリストを愛し、この方と一つのものとなろうとする霊なのです。 それはまさしく携挙を望む霊です。 私達の内にある霊はこのように神を望み、また神ご自身も私達を愛し、ご自身と一つのものとされようとします。この両者の思いが重なって、携挙が存在するのです。 主は私達の内にそれが育まれるように望まれます。いや、私達の人生自体、究極的にはそのためにあると言うことができるでしょ

目を覚ます時

2014年02月09日 19:22
聖書箇所: マタイ25:1-13 終末の時代、教会は初代教会がそうであったように、目をさまし、主が来られる日に備える時が来ます。 十人のおとめは花婿が来るのが遅れたので、その十人全てが寝てしまうのですが、主が迎えに来られるということを知ると目をさまします。 これは教会の歴史的な時間の経過としても、また個人の信仰生活のこととしても、見ることができるのですが、いずれにしても携挙に関わる内容であり、また油の備えのない花嫁に対する警告として見ることができるのです。 では寝てしまうとは、そして目を覚ますとはどのようなことを意味しているのでしょうか。油の備えとは何を表しているのでしょうか。 そして今この

神の国の福音

2014年02月02日 19:49
聖書箇所: ルカ10:1-16 主イエスが語られた福音は現在の私達が認識しているものと大きく異なっています。 その中心は「神の国が近づいた(マルコ1:15)」「神の国は、実にあなたがたのただ中にある(ルカ17:20,21)」「神の国はすでにあなたがたのところにきた(ルカ11:20)」と語っているように、「神の国」の存在が現実の世界に到来していることを語る「神の国の福音(ルカ4:43、ルカ8:1)」というものでした。 当時のイスラエルでは、神の国はイスラエルの国の復興としてこの地上に現れると考えられていた(使徒1:6)のが通常であったようです。 その意味からするなら主が語られた内容は非常に

聖霊のバプテスマ2

2014年01月26日 18:05
聖書箇所: 2テモテ1:7 聖霊のバプテスマにより、授けられた上よりの力は、初代教会の時代もまた現在においても、リバイバルを伴う力強い宣教を生じさせます。それは、宣教の働きの本質が人の力によるものではなく神の力によるものであるからです。 そして、そこにこそ主イエスが宣教の始めに語られたイザヤ61章にある真の解放と救いが現れるのです。 この注がれた霊は、私達を恐れから解放し、力と愛と慎みに導きます。 また、決して利己的目的のためのものではなく、神の目的に私達を沿わせるためのものであり、キリストの歩んだ道のりに私達を歩ませるものです。つまり、それはキリストの勝利の凱旋をこの地上から主と共に歩

聖霊のバプテスマ

2014年01月19日 19:10
聖書箇所: 使徒行伝1:8,ルカ24:46-49 主から与えられたビジョンが大きいほど、私達は自分では何もできないという事実に突き当たります。しかしだからこそ、それが主からのビジョンであり、だからこそ私達は聖書において主が語られている通り、上から力を着せられる必要があるということを知るのです。 この内容は紛れもなく聖霊によるバプテスマを指す事実であり、またさらに聖霊に満たされ続けて、主のご計画を進めるという意味でもあります。 しかしここで、私達は注意が必要です。神から注がれるこの絶大な力は私達自身の目的のために与えられている力ではありません。私達の満足のためのものではなく、主のためのもの

国を勝ち取る

2014年01月12日 18:01
聖書箇所:申命記31:3-6 私達の置かれている現状は、私達が思うほど平和で希望の開ける未来なのでしょうか? 確かに昨年からこの国の景気は回復傾向にあると言われています。しかしその影に隠れて、この国の行く先は決して平和を保証された安定した未来とは言えないような方向に進みつつあるようです。 それでは果たして主の目には私達のこの国はどのように映っているのでしょうか? 今年、主は私達にこの国を神の元に勝ち取れと語られています。だからこそ、今主の御声に耳を傾け、これから私達が如何に歩むべきか、共に分かち合っていきたいと思います。 メッセージダウンロード

勝ち取る者として

2014年01月05日 18:56
聖書箇所:申命記31:3-6 新しい年を迎え、今年私達に主から与えられている聖書箇所は申命記31:3-6です。 主はこの箇所を通して、私達にこの国を勝ち取れと語られています。神に背を向け、自らの力のみを信じ、永遠の滅びに向かうこの国を、神に立ち返らせよと、救いに導けと語られているのです。 そして、今年主は大きくこの地を勝ち取りに行こうと私達に言われているのです。 なぜそのような大それたことを私達に語られるのか、であるとするならばどのようにしてそのようなことが成し遂げられるというのか。 私達の思いはあまりに大きい語りかけに恐れおののきますが、昨年から引き続き申命記、ヨシュア記を通して、主は
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