徒然日記

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低き麗しき道

2016年05月28日 14:58
山から谷へと川が流れ 水が高きから低きへと流れるように 主の恵みも低き所にこそ流れる 自然の法則に定められた 主の溢るる麗しき愛は 私達を恵みへと導き 低き低き場所へ キリストの御側へと私達を招く キリストが生まれし 最も低き家畜小屋 キリストが歩まれし 貧しく弱く小さく罪深き者達の間 蔑まれ卑しめられた十字架の道 気づけば主の御足の跡こそ 愛と恵みの最も溢るる道 その愛の深みへと主は私を招かれる 「愛する者よ あなたは私と 永遠(とこしえ)に共に歩む 麗しき花嫁である」と

香りという感覚

2016年05月12日 15:41
嗅覚には意外と大きく人のイメージを左右するものがあるようで、その人の印象や、思い出などの記憶も、この嗅覚で感じたものが大きく影響を及ぼすのだそうです。 なるほど聖書にはこの香りがかなり重要なところで出てくるもので、祭司の幕屋での働きには欠くことはできないもの、またソロモンの時代にはこの多くの香木、香料がイスラエルに運ばれ、やはり神殿や賛美に必要な楽器の材料になったりしています。 その中で最も重要で最も印象深い場面として、マルタの妹のマリアが主イエスに注いだ香油を思わされます。 彼女の愛と感謝はこの香油で表されてきました。 そして、主イエスの葬りのために注がれた香油は彼女の持ち得る最高のささげ

主が立ち上がられる?

2016年04月26日 20:38
【出エジプト40:36-38】 40:36 雲が幕屋の上からのぼる時、イスラエルの人々は道に進んだ。彼らはその旅路において常にそうした。 40:37 しかし、雲がのぼらない時は、そののぼる日まで道に進まなかった。 40:38...

平和を祈る

2015年08月15日 10:36
フランシスコの平和の祈り 主よ、わたしを平和の器とならせてください。 憎しみがあるところに愛を、 争いがあるところに赦しを、 分裂があるところに一致を、 疑いのあるところに信仰を、 誤りがあるところに真理を、 絶望があるところに希望を、 闇あるところに光を、 悲しみあるところに喜びを。 ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。 理解されるよりも理解する者に、 愛されるよりも愛する者に。 それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、 許すことによって赦され、 自分のからだをささげて死ぬことによって とこしえの命を得ることができるからです。

水族館の魚達が

2015年05月28日 12:34
最近ある水族館で魚の大量死が話題になりましたが、その死因もわからないまま、新たに同じ魚を入れることもできず、水槽を回復するために実験的に生態の似ている魚を入れて、様子を見ていたところ、やはり大量死してしまったとのこと。 魚の生態もまだまだわからないところだらけです。人がわかるのはごく限られた部分なんだと実感します。 神様が造られたものを人はまだまだ知らない、いやずっとわからないことだらけ、計り知れないことだらけが人にはとてもいいことなのでしょう。 聖書には魚について不思議に思える記述があります。 【レビ11:9】 11:9...

バランス栄養食

2015年05月19日 18:54
食事をするにも、健康を考えてバランスの良い食事をするのは、ちょっと大変です。 炭水化物や糖質の量に気をつけたり、脂質や塩分を取りすぎないように気を配ったり、タンパク質もビタミン、ミネラルも、大切ですし、野菜も必要量を食べないとなどと考えると切りがない気がしてきます。 バランスの良い、完全な食事というのは一体どういうものなのか? さて、私達を日々霊的に養う神の御言葉はまさに完全食です。 【詩編19:7-10】 19:7 主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。 19:8...

一人カラオケ

2015年05月18日 18:42
街中を歩いていると、ときどき一人で歩いているにも関わらず、「カラオケいかがですか」何て声をかけられることがあります。 一人でカラオケをするのが楽しいのかどうかということはさておき、音楽と文化の行く末がどちらに向かっていくのだろうと考えていました。 聖書において、音楽はどこから始まっているのかということを見ると、 【ヨブ38:4-7】 38:4 わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え。 38:5 あなたがもし知っているなら、だれがその度量を定めたか。だれが測りなわを地の上に張ったか。 38:6...

日差しが強くて

2015年05月15日 20:11
ついこの間まで、「寒い。寒い。早く暖かくなって欲しい」と春を願い、やがて春が来て、もう暑さが来たと言う季節になって来ました。 人はわがままなものですね。 自分の都合でいろいろ思いが変わって、自分勝手な事情を振り回し始める。 みんなそのようなものですが、神の思いを置き去りにしてまで、自分の都合を申し上げていたりする自分の姿を見せられると、何と自分は自己中心的な罪深い者であろうかと、悔い改める次第です。 日々の生活、自分の思い、あるいは自分の考えや、自分勝手な正義感を振り回すことがあったり、以外と神よりも自分に埋没して生きている。 そんな生活を気がつかずに続けて、いかに神の深い思いを忘れ去って生

嵐がやって来ると

2015年05月11日 20:06
まだ5月なのにもう台風が来るなんてと驚かれている方多いでしょうか。 思いもよらず、嵐に見舞われてしまう。 人生にもそんなことが時としてあるでしょう。 何が原因なのかそれすらわからないまま、でもこの嵐に向き合わなければならない。 明日すらわからない嵐。 まったく人生において、そういうことに出くわすことはないと言い切れる人は一人もいないでしょう。 ならば、その嵐の越え方を知っているか、知っていないかで、生き方が変わると言うものです。 さて、その問題に対しても聖書は明確に私達に答えを多くの箇所で与えています。 では、そんな中のある箇所を見てみましょう。 【詩篇107:23-31】 107:23

石ころでも

2015年05月07日 13:32
自分の人生をふと振り返ると、パッとするわけでもなく、ごく当たり前に、しかし良いところもなく、代わり映えもなく、まるで石ころのような人生だなと、大人として歩んできた自分に昔ほどの可能性も未来の輝きもなくなり、そんなことを考えるときがあるかも知れません。 ところが聖書にはその石について、全く違う視点からこう語られています。 【ルカ19:35-40】 19:35 そしてそれをイエスのところに引いてきて、その子ろばの上に自分たちの上着をかけてイエスをお乗せした。 19:36 そして進んで行かれると、人々は自分たちの上着を道に敷いた。 19:37...
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