記事のアーカイブ

主の祝福を求める

2015年10月18日 19:54
聖書箇所: 歴代志17:23-27 神は、ご自身の御心を求めその計画に身をささげようとする者を喜ばれ、特別に祝福されようとする時があります。そのような時神の(計画の)ために私自身の祝福を大胆に求めることを、神は望まれます。 神の家を建てることを願ったダビデがそうであったように、今滅びに向かおうとしているこの国に神の家を建て、この国の救いを求めた者達(私達)に、神は大胆に主ご自身のために、私達に祝福を求めるよう語られています。 この祝福は、決して私達に何かがあったから、何かしらの理由が存在したからではなく、主の一方的な選びにより与えられた恵みであり、その一方的に注がれた恵みを、私達はただ恵

主の望む宮として立つ

2015年09月27日 19:52
聖書箇所: エゼキエル43:6-9 神は私達を主ご自身の宮とすると、ここに永遠に住まうと、この滅び行こうとする地においてしかしなおご自身の約束が何一つ変わりなきことを、今再び語られています。 いかに私達の悩みや問題が大きく見えたとしても、主はご自身が私達の全てとなられ、私達の唯一(たる存在)となられて私達の全てを満たし余りあって、その全ての問題を死からよみがえりに変え、私達に主の真実なることを、主の御言葉の真実なることを、全地に現さんと、その栄光を現されるのです。 私達は今主たる方がいかなる方かということを偽られることなく、この圧倒的な神という存在をそのまま受け入れ、この方に頼りすがって

ストリーミングメッセージの支障

2015年09月22日 19:50
今週は礼拝メッセージのストリーミング配信に支障が出ており、改めてこちらのページからメッセージファイルをダウンロードできるように致しました。 ご利用下さい。 9/20礼拝メッセージ

耳のある者となる

2015年09月20日 19:40
聖書箇所: マタイ13:9 主はこれまで私達に幾度も、ご自身の大切なご計画について語り、また、恐れ多くも、私たち自身がその計画を担う者とされていることを語り続けられました。 この神の言葉は、いつ、如何なる時も変わることはありません。 この神の言葉を、種まきの譬え(マタイ13:1-23)でわかるように、しっかりと聞き、如何なる困難に於いてもあきらめず、世の誘惑や思い煩いに覆うことなく受け止め、その御言葉に立って生きるのであれば、私達には豊かな実りが約束されているのです。 時代は深まり、この国は更なる過ちを重ねました。しかし主の私達に対する言葉は全く変わることなくこの国を、アブラハムが、モー

主の十字架の凱旋

2015年09月13日 19:51
聖書箇所: イザヤ42章 私達の中に与えられた、この主イエスキリストの命は、私達の内にのみ閉じ込めていい命ではありません。 この命は主の御思いを持ち、ぜんちにみちあふれ、全地の人々を主に立ち返らせて救い、全地を回復する命なのです。 今、時代は70年の平和であった時代を終えようとしています。 これまでは人の力で作られた平和でしたが、これからは、私達が主にあって平和を作る者として生きなければ、平和が存在しない時代となって行くでしょう。逆に言えば、この70年の時が私達が主にあってどのような生き方をして来たか、その結果として私達は今のこの時代に最も尊い平和を失おうとしていると言えるのです。 私達

信仰を守り抜いて生きる

2015年09月06日 19:49
聖書箇所: 1テモテ6:12-30 信仰を守り抜いて生きる。 私達が主から与えられた永遠の命を守り抱き続ける。私達は確かに一度十字架により贖われ救われた者ではありますが、この生涯を歩み尽くすまでは、この永遠の命を全く失わないとは言えません。クリスチャンであったとしても、神に逆らい敵対するような者になり、それを立ち返らず、死に至るのであれば、私達がどのような永遠の行く先を得るのかわからないのです。 私達がこの世に心奪われ地上の生活に没頭することは、私達を死に向かわせる歩みであり、また逆に、天に心を置き天に宝を積むように生きるのであれば、私達はこの地で主と共に生き、神の国をこの地に来たらしめ

信仰を守るということ

2015年08月30日 19:47
聖書箇所: ダニエル6:26-28 救いとはあまりにも大きな恵みです。そこに与えられている主の恵みの大きさを私達は今喜んでいるでしょうか?その恵みの全貌を、何が私達に与えられているのかを本当に知っているでしょうか? 一人の人が救われる、その喜びの証しは、すでに救われ、クリスチャンとしての歩みを続けている多くのクリスチャンをそこから溢れる、主のよみがえりの力により、思い出させます。 そして、私達の主から与えられたあまりにも大きなこの救いの恵みは、また信仰は、たとえこの命を失うことになっても守らなければならないものです。 私達が最初から与えられている、神からの恵みと、それを守ることの大切さに

主の愛を見失うとき

2015年08月29日 18:54
【マタイ26:69ー75】 26:69 ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。 26:70 するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。 26:71 そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。 26:72 そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。 26:73...

十字架の愛は溢れ出て

2015年08月23日 19:46
聖書箇所: ヨブ13:14ー28 私達は自分の力で正しく(義)生きることはできません。 むしろ私達の正しさ(義)は神の義と対立し、自らが正しいと主張し、また愛する人をもその正しさにより傷つける。 まさにそのこと自体が罪の根元であることを私達は知るのです。 ヨブとその友人達とのやりとりにはまさにそのことが現されていますが、しかしここで大きな恵みは、その人間の行き場のない罪深さの解決が主イエスキリストの十字架の贖い、その愛にあるということが暗示されている点にあります。 そして、この十字架の愛はヨブのみに止まる恵みではなく、その愛を知ったヨブが友人達の罪をとりなして祈ることにより、友人達の罪も

平和をつくり出す者

2015年08月18日 12:13
【マタイ5:9】 5:9 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。 私達クリスチャンにとって平和と言うことを考えるならば、私達の取り得るスタンスはこの聖句にあります。 それは私達のうちに住まわれるキリストご自身が最もそれを望まれる方、ご自身が平和そのものである方だからです。 【イザヤ9:6,7】 9:6 ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。 9:7...
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