主の望む宮として立つ

2015年09月27日 19:52

聖書箇所: エゼキエル43:6-9

神は私達を主ご自身の宮とすると、ここに永遠に住まうと、この滅び行こうとする地においてしかしなおご自身の約束が何一つ変わりなきことを、今再び語られています。
いかに私達の悩みや問題が大きく見えたとしても、主はご自身が私達の全てとなられ、私達の唯一(たる存在)となられて私達の全てを満たし余りあって、その全ての問題を死からよみがえりに変え、私達に主の真実なることを、主の御言葉の真実なることを、全地に現さんと、その栄光を現されるのです。
私達は今主たる方がいかなる方かということを偽られることなく、この圧倒的な神という存在をそのまま受け入れ、この方に頼りすがって、主の(御言葉の)真実にあってもう一度目を覚ます必要があります。
そして私達が主の住まわれるにふさわしい主の宮として、いかに生きて行くかということについて、今主は私達に語りかけておられます。
今回は主の望まれる主の宮としての生き方について、共に御言葉に耳を傾けていきたいと思います。


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