主の十字架の凱旋

2015年09月13日 19:51

聖書箇所: イザヤ42章

私達の中に与えられた、この主イエスキリストの命は、私達の内にのみ閉じ込めていい命ではありません。
この命は主の御思いを持ち、ぜんちにみちあふれ、全地の人々を主に立ち返らせて救い、全地を回復する命なのです。
今、時代は70年の平和であった時代を終えようとしています。
これまでは人の力で作られた平和でしたが、これからは、私達が主にあって平和を作る者として生きなければ、平和が存在しない時代となって行くでしょう。逆に言えば、この70年の時が私達が主にあってどのような生き方をして来たか、その結果として私達は今のこの時代に最も尊い平和を失おうとしていると言えるのです。
私達は本来の姿に目を覚まし、悔い改めて、主の計画のために生きなければなりません。
そのために私達は、キリストが十字架で痛みを負いながら歩まれたように、私達も主が求める救われるべき魂のために、十字架の痛みを担う必要があります。
そのような主の思いと痛みを私達が担う内に、主のリバイバルはこの地に訪れるのです。
リバイバルは決して夢物語でも、絵空事でもありません。
私達が、私達のためにかかられた主イエスの十字架を担い歩んで行く、その各々に遣わされた地にて、この十字架の死と復活が現されるとき、主の臨在はそこにあり、主は生きて働いて、そこにリバイバルが現れるのです。
それは主の勝利の凱旋として、圧倒的な力をもって現されるのです。
今日は、私達が主の十字架を担う所に現れるリバイバルについて、共に分かち合いたいと思います。


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