記事のアーカイブ

私達の内に主は来られる

2015年08月16日 19:44
聖書箇所: 黙示録22:10-20 聖書の最後の書を読めばわかるのですが、神はそのご計画の結論を結婚の奥義という神と人が永遠に一つに友に住まう天国が完成する姿に置きました。 そしてその麗しい姿を最後に描くと同時に、私達がこの日のために主の名を「来たりませ」と呼ぶことを命じられました。 それは一日も早く神のこのご計画が進み、完成することを望んで生きるようということと同時に、主ご自身がこの呼びかけに答え、この計画に先んじて来続けてくださることが、つまりは私達の内に主が住まわる恵みが日々明らかに私達の内に現されるよう、主の名を呼ぶことを望んでおられるのです。 主は花嫁の呼ぶ声を聞くことを望み、

平和を祈る

2015年08月15日 10:36
フランシスコの平和の祈り 主よ、わたしを平和の器とならせてください。 憎しみがあるところに愛を、 争いがあるところに赦しを、 分裂があるところに一致を、 疑いのあるところに信仰を、 誤りがあるところに真理を、 絶望があるところに希望を、 闇あるところに光を、 悲しみあるところに喜びを。 ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。 理解されるよりも理解する者に、 愛されるよりも愛する者に。 それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、 許すことによって赦され、 自分のからだをささげて死ぬことによって とこしえの命を得ることができるからです。

教会を貫く聖霊の恵み

2015年08月09日 21:03
聖書箇所: ヨハネ20:20ー23 主は私達にご自身の名を呼べと語られています。 それは何より主ご自身が私達の中に臨まれるためです。 主は聖霊なる神として私達のうちに住まい、そしてこの聖霊によって教会を生み出されました。 この聖霊の恵み無しに教会の歴史を語ることができないは使徒行伝の中の教会の姿を見るのであれば明らかでしょう。 そしてこの使徒行伝の神の力強い御業による神の御心を完成する働きは未だ完結することなく現在において私達教会に引き継がれているのです。 長い歴史において、人の知恵や人の力は神のこの全能の力溢れる恵みについて、人の理解の中に収めようとし、教会の聖霊による力強い働きはとど

主の名を呼ぶために

2015年08月02日 21:02
聖書箇所:列王記下18:19ー19:7 人は何も問題や脅威がない時には、特別に神を必要と感じないのかも知れません。 しかし一度自らの力ではどうにもならないような問題に遭遇すると初めて主の名を呼び救いを求め始める。 イスラエルの歴史においても、そのようなことは繰り返され、主の恵みの豊かなるがゆえに主から心離れ、主から離れて罪が満ちやがてのろいが地に満ち滅びへと向かう中で主の名を呼び始める。 我が国においても同様に主を退け続け主を受け入れないがゆえに積み重なる罪が満ちてまさに滅びようとその問題が如何ともしがたくなっています。 まさにヒゼキヤ時代のイスラエルの如く、アッスリヤとエジプトの二つの

滅び行く国のために

2015年07月30日 20:54
【ヨナ4:1-11】 4:1 ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、 4:2 主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。 4:3 それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです」。 4:4 主は言われた、「あなたの怒るのは、よいことであろうか」。 4:5...

回復のダイナミズム

2015年07月26日 19:17
聖書箇所: 使徒2:14-42 主から心離れ、掛け違え重ね続けた罪を悔い改めることは、最初に主に救われた時にのみ経験することではなく、いつになっても私達にとっては恵みです。 なぜなら、この十字架にこそ、言葉に尽くせぬほどの、神の深い愛が現されてるからです。 それは主イエスが、我が罪に立ち向かい、血を流すまでに戦われた姿であり、またその愛の大きさを真に知り受け取った者達は、やがて同様に主のために、罪と血を流すまでに向き合い戦うようになります。 それは自らの罪ばかりではなく、むしろ主が愛する誰かのためであり、また滅び行くこの地を国を取りなすためであり、私達の主への愛が成熟すればするほど、主が

信仰の覚悟

2015年07月17日 19:02
【ダニエル3:14-27】 3:14 ネブカデネザルは彼らに言った、「シャデラク、メシャク、アベデネゴよ、あなたがたがわが神々に仕えず、またわたしの立てた金の像を拝まないとは、ほんとうなのか。 3:15 あなたがたがもし、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くときにひれ伏して、わたしが立てた像を、ただちに拝むならば、それでよろしい。しかし、拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか」。 3:16...

主の弟子として

2015年07月12日 18:59
聖書箇所: ヨハネ12章 主は私達が弟子となることを望まれます。 それはまず主の御側に置くためであり、そして遣わして神の御国を顕現し多くの魂をまたこの地を勝ち取るためです。 それは、福音書に記された弟子達が初臨のキリストの持つ神の計画を備える者達であったように、今私達に弟子となることを望むのは再臨のキリストの備えのためであり、実に私達はそのために救われクリスチャンとなったのです。 私達に与えられた恵みの時救いの日は決して私達自身が幸せに生活をするだとか、自分の満足のために生きるだとか、ただ漠然とすえられたものではありません。 主の御側に置かれた者は主の時を知り、その時に備え、また主の計画

栄光の王が来られる

2015年07月10日 21:06
【詩篇24:7-10】 24:7 門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。 24:8 栄光の王とはだれか。強く勇ましい主、戦いに勇ましい主である。 24:9 門よ、こうべをあげよ。とこしえの戸よ、あがれ。栄光の王がはいられる。 24:10...

主の真実に立つ

2015年07月05日 19:11
聖書箇所: 歴代志下26章 主は私達に偽りから離れるようにと今語られています。 何を主が偽りと言っておられるのか。 それは主のみが真実であり、主の御心、主の御言葉それ以外のものは全て偽りであるということです。 なぜなら万物はこの方の真実の上にしか存在することができない。それ以外の偽りの上に存在することができず、その偽りはやがて消えゆくものでしかありません。 しかしサタンは偽りの父であり、人はこのサタンの偽りを受け入れ罪を犯したところから、全人類に罪が入ったわけですから、私達自身が神の御心に従おうとするのではなく、そのまま自分の思いのままに生きようとするのであれば、そのこと自体が偽りの中に
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