十字架の愛は溢れ出て

2015年08月23日 19:46

聖書箇所: ヨブ13:14ー28

私達は自分の力で正しく(義)生きることはできません。
むしろ私達の正しさ(義)は神の義と対立し、自らが正しいと主張し、また愛する人をもその正しさにより傷つける。
まさにそのこと自体が罪の根元であることを私達は知るのです。
ヨブとその友人達とのやりとりにはまさにそのことが現されていますが、しかしここで大きな恵みは、その人間の行き場のない罪深さの解決が主イエスキリストの十字架の贖い、その愛にあるということが暗示されている点にあります。
そして、この十字架の愛はヨブのみに止まる恵みではなく、その愛を知ったヨブが友人達の罪をとりなして祈ることにより、友人達の罪もゆるされるばかりか、ヨブの祝福が以前の二倍に回復するという祝福がさらにあふれる姿に、私達教会のあるべき姿が語られているのです。
私達の罪のために十字架にかかられた十字架の愛は私達の内で主への豊かな愛へと成熟し、主の愛する兄弟姉妹をそして隣人を愛する愛へと成長します。
そう、十字架の愛は一人の罪の問題に立ち向かうだけでなく、私達を、隣人の罪にも、私達にすでに注がれたこの主イエスの愛をもって立ち向かい、とりなす者となさしめるのです。
まさに教会はこの十字架の愛を中心に、私達だけではなく、私達自身から主の愛が溢れ出る、そのことによって見えない神の愛が全うしていく姿が世に現され、またこの愛を求めて集まる多くの者が救われて、神の恵みをさらにあふれ流れさせる器とする、驚くべき豊かな恵みをもって、全地をこの主の愛で満たそうとするものなのです。

今回は十字架の愛のさらに豊かな側面を、教会の真にあるべき愛の姿を通して、共に分かち合いたいと思います。


メッセージダウンロード