記事のアーカイブ

神をわが神とする

2014年05月25日 18:23
聖書箇所: ヨハネ5:2-9 ルツという人は聖書の中では、とても不思議な存在です。なぜなら、イスラエルが選びの民として、主の目的の中心に位置していた時代(旧約時代)において、ルツは異邦人でありながら、特別な祝福を神から受けた人でした。 彼女はモアブ人という、イスラエルの会衆の中に何代に渡っても加わることがゆるされない(申命記23:3)、つまりは主にのろわれた民でした。 しかし、彼女はある一点を主に喜ばれ、異邦人でありながら、後の時代に来たる贖い主の型となる人物と出会い、贖いの恵みを受け、またさらに贖い主の花嫁となるという、私達異邦人の教会に現在与えられている恵みの型となった人物となりまし

主の祭壇を立て直せ

2014年05月18日 19:52
聖書箇所: 1列王記18:30 私達はその生活の中で、神とは別に偶像を建て上げてしまうことがあります。 それは神を信じていながら、神よりも必要とするもの、神より頼りにしているもの。 偶像とは明確な他の神々だけではなく、私達が自分自身のために生き、あるいは自らの力を頼りにして生きようとする中に生まれるものです。それは決して実体はなくとも、神に信頼せず、神のみを頼りとせず、神とは同居しない、神以外のもので生きようとする神とは別の祭壇を建て上げること。 しかし、聖書は私達の生活を神の祭壇を建て上げる、礼拝を全ての始まりとして定めています。私達は造られた時から神を礼拝するために生まれ、私達の生き

愛するゆえの聖別

2014年05月11日 19:56
聖書箇所: ヨハネ17:17-19 主を愛し、主に近づこうとする者は主の聖別を受けます。 それは「わたしが聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者になるべきである(1ペテロ1:16)」と書いてある通り。神の聖にあずかるということは世と俗と別離することを意味します。 ですから、この主の聖別を受けるというお話をすると何か痛みを伴うような、何かを失うことのようなことを感じ、積極的に神の聖別に入ろうと考えられない兄弟姉妹も居られるでしょう。 しかし、この聖別こそ主の愛の極みなのです。 聖別は主の側に選び分かつものです。つまりそれは、主が私達を「私のもの」とされるということです。 そうです。私達は

主の民の聖別

2014年05月04日 18:42
聖書箇所: コロサイ3:1-3 私達は毎週この礼拝の中で主との豊かな交わりを与えられています。ここには主がどれほど私達に大いなるものを与えて下さっているのかを知るに充分な、素晴らしい豊かな交わりがあるのです。それはこの地上では味わうことのない交わり、天における交わりそして永遠の交わりが存在しています。 この永遠の交わりを兄弟姉妹と永遠に共に分かち合う、これこそが主の教会です。 天地万物の創造者にして、その全てを所有される主権者であられる方、全てに満ちみちておられるキリストを共に分かち合う。私達は何という特権にあずかっているのでしょうか。 まさにこのキリストを知ることのゆえに、地上にある全

よみがえりの主がおらる

2014年05月03日 11:44
【ルカ7:11-17】 そののち、間もなく、ナインという町へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。 町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだので、葬りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。 主はこの婦人を見て深い同情を寄せられ、「泣かないでいなさい」と言われた。 そして近寄って棺に手をかけられると、かついでいる者たちが立ち止まったので、「若者よ、さあ、起きなさい」と言われた。 すると、死人が起き上がって物を言い出した。イエスは彼をその母にお渡しになった。 人々はみな恐れをいだき、「大預言者がわたしたちの間

自らのはかり

2014年04月30日 20:39
【ルカ6:37,38】 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。 与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから」。 神の国の基準はこの地においては非常に不思議です。つまりこの世の常識とは反しているということです。 およそ、神の国の常識をもってこの世に歩むのであれば非常識で愚かな

主は今共におられる

2014年04月20日 19:17
聖書箇所: ヨハネ21:19-29 主の復活を心よりお喜び申し上げます。 今日は主の復活を覚える復活祭の日です。 その復活の主は今ここに私達と共に居られます。何と素晴らしいことでしょうか。 でも、この主が今ここに居られるということを、あなたは本当に感じていますか?わかっていますか? 復活の主にお会いできた弟子達ははじめ、復活の主に出会ったとき、この方がずっとこれまで共に居られた主イエスであることに気づきませんでした。それまでどれほど長く主と共に居て、親しく交わってきたのか、主をよく知る者達であるはずなのに、彼らの目はさえぎられ、この方がわからなかったのです。 しかし、そのような者達に主は

十字架を担う者

2014年04月13日 19:21
聖書箇所: マルコ11:1-11 今日は教会暦における、シュロの聖日です。来週の日曜に復活祭をのぞむ、受難週の最初の日、イエスキリストがろばの子に乗り、エルサレムに入城された日にあたります。 聖書において、ろばは人間を比喩する動物の一つであると考えられ、同時に役に立たない者としての意味を持つ動物です。 さらに、その子供という意味においては、なおさら何の意味のない、小さな存在であることがわかります。 つまり、主イエスはそのような取るに足らない名もない小さな、私達のような存在をわざわざ選びエルサレムに入城されました。 しかしそこには私達に対する神の溢れる愛があり、またこの私達を通して成し遂げ

お花見礼拝

2014年04月08日 09:25
今週は初めてのチャレンジで教会をあげてお花見に行って参りました。それも、礼拝もそこでささげるというもの。よく学校ではオープンキャンパスなるものがあり、どんなことを学べるか一般の人にキャンパスを公開することがありますが、教会もそういったことできるのではないかという発想からチャレンジすることに致しました。 つまり、さしずめオープンチャーチといった感じ。 通常のお花見と同様、楽しくお話ししながらお弁当を食べ、一通り満足したところで、いざ礼拝。 途中雨混じりでしたが、予定は8割がた成功といったところでしょうか。 雨が止まなそうになったのと、少しこの日は気温が上がらず、皆さん寒くなってきたので、予定よ

主をほめたたえよ

2014年04月06日 19:58
今回はお花見礼拝でしたので、ショートメッセージでした。音声ファイルはありません。 詩篇145篇 今日はこの桜の花々の中での礼拝です。 見てわかる通り、天と地にある全てのものは神をほめたたえています。全てのものはそのために生まれ存在しています。全身全霊をもって、神をほめたたえているのです。そう、これらの桜は自らの花びらを散らしながらもその美しさで神をほめたたえているのです。 残念ながら、このようにほめたたえることを、生まれもっての性質において、知らないのは人間だけです。それは最初の人間アダムとエバから先全ての人間に罪が入ってしまったからです。 しかし、私達がイエスを救い主と信じ救われた時、
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