記事のアーカイブ

目を離せない真実

2014年03月30日 19:58
【ヨハネ1:29】 見よ、世の罪を取り除く神の小羊。 全ての人の生涯はこの方を知るために存在します。この神の小羊を見るために。 それはイエスキリストを知らず、また信じるに至らない人々においてもそうですが、私達イエスを信じる者達においてもなおさらそうです。 私達のためにほふられた神の小羊たる主イエスキリスト、ここから生涯目を離さないために私達は生きているのです。 全ての生きとし生けるもの、息のある全ての物はこの方に注目しています。 なぜなら、この方にあって全てのものが完成する、全ての終局、結論はこの方にあるのです。 いやすでにその結論は十字架の上で完成したのです。 神の全ての計画は既に十字

完全なるささげ物

2014年03月23日 18:49
聖書箇所:ローマ12:1  私達の人生は主に最上のささげ物をささげるためにあります。これは前回お話したことの結論です。 しかし、ではこの最上のささげ物とはいったい何でしょうか? それを突き詰めると、全ての物は主のものであり、私達がささげるものでさえ、全て主から受けたものであり、何一つ自分からささげられるよきものは存在しないというところに行き着きます。つまり私達にはささげられるものすら、自分にはない。ということに気づくのです。 そして、十字架にご自身の全てをささげて下さった方に、ただ私自身をささげる他に、主のこの限りない十字架の愛に答える術がないことを知るのです。 最上のささげ物とは主イエスの

礼拝の中心

2014年03月16日 19:09
聖書箇所: ローマ12:1 礼拝において、多くの人々はその礼拝で何かを得るために、わかりやすい言い方をするなら恵まれるために、教会に集います。しかし、聖書に連綿と続く礼拝は捧げることが中心です。 カインとアベルも最初の礼拝もそうですし、アブラハム・イサク・ヤコブの建てた祭壇はごく一部以外全てささげ物をささげるためだけにある形をしています。 またモーセの時代、礼拝は幕屋でささげられていましたが、やはりその構造を見れば明らかですが、礼拝はささげ物が中心であり、続くソロモン以降の神殿での礼拝も幕屋の時代を引き継ぎ、礼拝の中心はささげ物をささげることでした。 さらに、私達が待ち望む新エルサレム、新し

礼拝メッセージの更新しました

2014年03月14日 17:22
メッセージの更新が遅れました。申し訳ありません。 3/2、3/9分のメッセージの更新をしました。 3/2分メッセージはこちら 3/9メッセージはこちら

世界の中心

2014年03月09日 19:11
聖書箇所: ヨハネの黙示録5:12 私達の信仰の中心は十字架です。 いつの時代になっても、どんなに真新しい聖書解釈を目にし、新しい真理があるかのように心誘われても、その中心は十字架から1ミリもずれることはありません。 なぜなら、主が再びこの地に来臨する日、全世界の者達、全ての被造物は、このほふられた小羊ただ一点に、眼差しが注がれます。それは全世界の中心がこのほふられた小羊、十字架にかかられたよみがえられたキリストにあるからです。 そしてこの贖いの計画は天地万物が創造される前から定められ、また主のご計画が完成する日、新エルサレムたる私達キリストの花嫁と花婿なるキリストの結婚の奥義が完成する日に

神の性質にあずかる者

2014年03月02日 19:49
聖書箇所: 2ペテロ1:4 クリスチャンだからこそ経験する葛藤。私達は主イエスを救い主として信じた時から、罪赦され、神の聖という性質にあずかるため、その生活に聖別と言う過程が現れます。つまり、悪習慣、悪癖など、一人一人が持つ罪について、神に取り扱われます。 神に近づこうとする者はすべてこの過程を通りますが、そこで知るのは私達の内には、罪ばかりで、善いところが全くないという事実です。 いったいどうしたら、このような私達が、神の性質にあずかることができるのでしょうか? そのキーとなるのが、私自身がキリストと共に十字架の死とよみがえりにあずかるという真理です。 今回は主がいかにして、キリストの

携挙を望む霊

2014年02月23日 19:17
聖書箇所: ルカ17:22-37 私達の内に授けられた聖霊は、天から降った霊であり、またキリストの花嫁としての霊です。 それは天から来た霊だからこそ、私達を主の居られる天の御座にまで引き上げる霊であり、また花嫁の霊だからこそ、花婿キリストを愛し、この方と一つのものとなろうとする霊なのです。 それはまさしく携挙を望む霊です。 私達の内にある霊はこのように神を望み、また神ご自身も私達を愛し、ご自身と一つのものとされようとします。この両者の思いが重なって、携挙が存在するのです。 主は私達の内にそれが育まれるように望まれます。いや、私達の人生自体、究極的にはそのためにあると言うことができるでしょ

日々新しくされる

2014年02月22日 18:23
【1コリント 1:22-24】 ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。 しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、...

人の知恵と神の知恵

2014年02月13日 20:26
【1コリント 1:19-21】 すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」...

目を覚ます時

2014年02月09日 19:22
聖書箇所: マタイ25:1-13 終末の時代、教会は初代教会がそうであったように、目をさまし、主が来られる日に備える時が来ます。 十人のおとめは花婿が来るのが遅れたので、その十人全てが寝てしまうのですが、主が迎えに来られるということを知ると目をさまします。 これは教会の歴史的な時間の経過としても、また個人の信仰生活のこととしても、見ることができるのですが、いずれにしても携挙に関わる内容であり、また油の備えのない花嫁に対する警告として見ることができるのです。 では寝てしまうとは、そして目を覚ますとはどのようなことを意味しているのでしょうか。油の備えとは何を表しているのでしょうか。 そして今この
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