神をわが神とする

2014年05月25日 18:23

聖書箇所: ヨハネ5:2-9

ルツという人は聖書の中では、とても不思議な存在です。なぜなら、イスラエルが選びの民として、主の目的の中心に位置していた時代(旧約時代)において、ルツは異邦人でありながら、特別な祝福を神から受けた人でした。
彼女はモアブ人という、イスラエルの会衆の中に何代に渡っても加わることがゆるされない(申命記23:3)、つまりは主にのろわれた民でした。
しかし、彼女はある一点を主に喜ばれ、異邦人でありながら、後の時代に来たる贖い主の型となる人物と出会い、贖いの恵みを受け、またさらに贖い主の花嫁となるという、私達異邦人の教会に現在与えられている恵みの型となった人物となりました。
そして、そのターニングポイントとなったのが、彼女の一つの告白です。

「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。(ルツ1:16)」

彼女は自らの出身である民を捨て、神の選びの民となることを望み、そして何より、イスラエルの神(天地万物を造られた唯一の神)を我が神とするという告白をしたのです。
そうです。この小さな告白は、主の目に大きなものとして映ったのです。
そして、先にお話した通り、彼女はキリストの花嫁の型としての恵みを受け、さらに驚くべきことに彼女の子孫からダビデが生まれ、また私達の主イエスキリストが生まれたのです。
何と驚く恵みでしょうか。
私達は神を私の神とするという意味の大きさを本当に理解しているでしょうか?
これまで主は私達に主にある聖別について語り続け、先週は主の祭壇を立て直すことについて分かち合いました。
神を私の神とするという告白は、ヤコブがベテルにおいて天から地にかけられた梯子の幻を見た時、祭壇を建て言った内容です。
私達が神をわが神とするとは、主イエスの十字架の上に、はじめの愛をもって、自らを主にささげることであり、それが主の祭壇を立て直すことです。何ものにでもなく、ただ主にのみ自らの全てをささげることは、自らの建て上げた神以外のものに頼るという偶像を決定的に打ち崩すこととなります。
これが主の望まれる宮のきよめとなるのです。
どこまでも主の恵みは深いことでしょう。今主は私達が主から離れ、背き、その結果としてたとえのろいの内に歩みを罪に捉えられ、主を見上げることさえ忘れかけ苦しんでいても、この主の祭壇を立て直し、そのことによりあなたの命、生活の全てを回復せんと、十字架に釘づけられ傷だらけになった手を伸べて、私達を招いて下さっています。私のところへ戻りなさいと。
主のあわれみの御手が伸べられている今、しっかりと主の御手をつかみ、主の祭壇を立て直しましょう。


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