主の弟子として

2015年07月12日 18:59

聖書箇所: ヨハネ12章

主は私達が弟子となることを望まれます。
それはまず主の御側に置くためであり、そして遣わして神の御国を顕現し多くの魂をまたこの地を勝ち取るためです。
それは、福音書に記された弟子達が初臨のキリストの持つ神の計画を備える者達であったように、今私達に弟子となることを望むのは再臨のキリストの備えのためであり、実に私達はそのために救われクリスチャンとなったのです。
私達に与えられた恵みの時救いの日は決して私達自身が幸せに生活をするだとか、自分の満足のために生きるだとか、ただ漠然とすえられたものではありません。
主の御側に置かれた者は主の時を知り、その時に備え、また主の計画のために自らをささげあるいは自らの命をささげる者達なのです。
実にそのように主はご自身の心をそのように主の御側に近づこうとする者に明かし、自らのご計画に身をささげる者を得て御心を成し遂げるために、弟子達を望まれたのです。
これはただ主の御業を見ようとあるいはその恵みに預かろうとするためだけに主に距離を置きながら集まる群衆とは異なります。
主は今私達に一歩主に近づくように、主の弟子となるように招かれています。
主の深い御旨に今日も耳を傾けてきたいと思います。
さあ、共に心開き主の御言葉を受け取りましょう。


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