主の真実に立つ

2015年07月05日 19:11

聖書箇所: 歴代志下26章

主は私達に偽りから離れるようにと今語られています。
何を主が偽りと言っておられるのか。
それは主のみが真実であり、主の御心、主の御言葉それ以外のものは全て偽りであるということです。
なぜなら万物はこの方の真実の上にしか存在することができない。それ以外の偽りの上に存在することができず、その偽りはやがて消えゆくものでしかありません。
しかしサタンは偽りの父であり、人はこのサタンの偽りを受け入れ罪を犯したところから、全人類に罪が入ったわけですから、私達自身が神の御心に従おうとするのではなく、そのまま自分の思いのままに生きようとするのであれば、そのこと自体が偽りの中にあることとなるのです。
私達の思い(肉の思い)は神に敵対します。
そのような偽りの中に生き続けることを主は望んでいないと語られているのです。
ウジヤ王はユダの王の中では主に従順な王の一人でした。ですから、この主の御心の内、真実の内に生きている時は、ソロモン以来最大の繁栄を主から祝福として受け取ります。
しかし、その途上で彼は自らの高慢な思いの内に心離れず、自らに与えられた王としての分を超えて、祭司の働きにまで手をかけ、聖所に入り香を炊こうとして彼は主に打たれツァラートに犯され、結果王から退けられ離れに住んで一生をツァラートのまま終えます。
このツァラートは聖書において罪の現れとしての病とされているところから、彼は罪から離れなかった、生涯ツァラートであったということは真に神に立ち返り悔い改めることがなかったのではなかろうかと思われるのです。
何と残念なことでしょうか。
私達とてもどうように、神の御心、真実から離れ、自分の思い、利益、世の常識のような、偽りから心離れないのであれば、私達は主の計画から離れ、祝福を失っていくこととなるでしょう。
しかし、だからこそ今主は私達に偽りから離れ、主の真実に生きるように、そしてそこには、主の大いなる計画とそれに伴う溢れる祝福があると語っておられるのです。

まず、頑なな心を開き主の御声を聞かせていただけるよう共に祈りましょう。
主の真実の上に共に生きることができるよう、メッセージを分かち合っていきたいと思います。

※メッセージのダウンロード用の音声ファイルがアップロードできていないので、ストリーミング中継の番組の方からお聞き下さい。


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