「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。黙22:20

わたしはまた、大群衆の声、多くの水の音、また激しい雷鳴のようなものを聞いた。それはこう言った、「ハレルヤ、全能者にして主なるわれらの神は、王なる支配者であられる。
わたしたちは喜び楽しみ、神をあがめまつろう。小羊の婚姻の時がきて、花嫁はその用意をしたからである。
彼女は、光り輝く、汚れのない麻布の衣を着ることを許された。この麻布の衣は、聖徒たちの正しい行いである」。
(新約聖書 ヨハネの黙示録19:6~8)

全てのキリスト教会は愛する主イエスキリストが再び来られる日を待ち望む花嫁達の集まり(教会)です。
そうです。私達は "Bride of Christ" キリストの花嫁の教会です。
 

ブログ

あなたへの良き知らせ

2014年07月18日 10:13
【2列王記25:27-30】 25:27...

主を喜ばせる行い

2014年07月17日 13:21
【2サムエル2:4-7】 時にユダの人々がきて、その所でダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。人々がダビデに告げて、「サウルを葬ったのはヤベシ・ギレアデの人々である」と言ったので、 ダビデは使者をヤ

御言葉に親しむ

2014年07月16日 08:25
【詩篇119:14-16】 わたしは、もろもろのたからを喜ぶように、あなたのあかしの道を喜びます。 わたしは、あなたのさとしを思い、あなたの道に目をとめます。 わたしはあなたの定めを喜び、あなたのみ

主にある不動の歩み

2014年07月12日 07:11
【1ペテロ5:8-11】 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗し

主と永遠に共に歩む

2014年07月11日 07:20
【マタイ4:18-20】 さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であっ

主の訪れに気づく

2014年07月10日 07:48
【ルカ4:16-21】 4:16 それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。 4:17...

ただ主のみを恐れよ

2014年07月08日 17:38
【詩篇103:13-19】 父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる。 主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えていられるからである。 人は、そのよわいは

砕かれた岩

2014年06月19日 18:20
【出エジプト17:1-7】 17:1 イスラエルの人々の全会衆は、主の命に従って、シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、そこには民の飲む水がなかった。 17:2...

よみがえりの主がおらる

2014年05月03日 11:44
【ルカ7:11-17】 そののち、間もなく、ナインという町へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。 町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめにとってひとりむすこであった者が死んだ

自らのはかり

2014年04月30日 20:39
【ルカ6:37,38】 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるさ
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礼拝メッセージ

神の計画を成就するには

2017年01月08日 19:10
聖書箇所: サムエル下6章神の計画を成就するためには、その課程に於いて、人が決して失敗しないという訳ではありません。聖書に於いてはそのような人の失敗について、むしろ多くの箇所で語られています。ダビデも、神の箱をエルサレムに運び入れる計画において、大きな失敗を経験しています。神の箱をエルサレムに運び入れる計画は、ダビデにとっては、神を愛すればこそ思い浮かんだ計画だったと言えるでしょう。しかし、牛車に乗せた神の箱は途中で牛がつまずいたがために揺らぎ、神の箱を手で押さえたウザは撃たれて死に、この計画は頓挫することになったのです。そこでダビデは挫折したのです。神を愛すればこそ、神に従ったはずの歩み。失

よみがえりに歩む

2017年01月01日 19:02
聖書箇所: ピリピ2:5主は私達にこれまで多くのことを約束してくださいました。しかし、その全ては人の力で成し遂げることの不可能なことです。でもそのことは、神の御業の現れ方に非常にかなっています。なぜなら、人の力に一切よらない事であるからこそ、栄光が神のみにより現される。神のみがその栄光を賛美されるということとなるからです。むしろ人の力が使われ、人の手によるのであれば、その罪にまみれた手によりそれはどうしても汚された業となり、また人自らによる業としてどうしても栄光を自らのものとしてしまします。さらに言えば、この人の力、人の業が神の御業を妨げるものとなるのです。ですから、主はご自身の約束を神の御業

最上の礼拝で主を迎える

2016年12月25日 19:59
聖書箇所: マタイ2:1-21主のご降誕の時には必ず語られるインマヌエルの預言イザヤ7:14ですが、実はこの言葉が語られた時、その言葉はそのまま受け入れられたのではなく、むしろ拒絶をされました。預言者イザヤは当時のユダの王アハブにこの言葉を語ったのですが、そもそも当時ユダが脅かされていたイスラエルとスリヤの王の謀略に対する救いを約束した主の言葉、それを信ずることができるよう、しるしを求めよと主はアハブに迫られた、それがこの箇所です。しかしアハブはこの主に頼ることはしないと主を拒絶するのです。そして、語られた預言を自らの力で実現すべくこの2国に対抗するためアッスリヤを金で雇うのです。そして、むし

今が新生の時

2016年12月18日 19:46
聖書箇所: サムエル上25章、ルカ5:36ー39主は私達に今変革を語られています。それはご自身の栄光を現すにふさわしい器として私達を造り変えるために。しかし、そのためには私達自身が神の祝福を受ける器として造り変えられることを受け入れ、祈り求めなければ、変革は始まりません。神は無理矢理には私達を造り変えようとはされないのです。確かに私達は自らの生き方にあまり変化を求めないかも知れません。特に救われたままの私達は、魂は救いを受けましたが、しかし生まれたままの肉の性格のままに生活すること、肉の求めるままに生きようとします。もちろんこのことは神を喜ばせることはできず、むしろ神に敵対する、罪そのものが生

愛により待ち望む

2016年12月11日 19:40
聖書箇所: ルカ11:5ー13私達は主が来られる終わりの日には主から報いを受けるのですが、その基準はまさに律法の中心と言われる神を愛することと隣り人を愛することです。神に対して私達がどのようであるのかという基準に関してはこれまでも語られてきましたが、同様に神の愛する隣り人にどのようであるのかということも、実は神はずっと見ておられるのです。主は私達の目的で私達の欲望を満たすために求めることを喜びません。それは神を敵とし世を友とする視点。しかしそれによって得るものはなくとも、隣り人のために求める者を主は豊かに恵み愛したもうことを語られています。その観点でもしもルカ11:5-13を見るのであれば、「

見えざる罪に目を向ける

2016年12月04日 19:37
聖書箇所: レビ5:17ー19主はこれまで私達が堪え忍びながら、主がこの国を訪れ救ってくださるのを、備え待ち望んでいたことをよくご存知で、これから主がこの地に最初に来られた時のように、私達の内にご自身の一歩一歩を現そうと大切に語ってくださっています。それは全地が鳴りどよめき、全ての者がひれ伏し、悔い改めが波の如く広がる、そんな一歩一歩を私達が踏み出す一歩一歩に現そうと語ってくださる、恐れ多いものであり、同時にこれまで苦しみ悩み戦い傷つき歩んできた私達を、主の栄光で満たし贖おうと約束する慰めに満ちた言葉でもあります。同時に主はだからこそ、「私がこの国に臨もうとしている。あなたにその覚悟ができてい

栄光の主の花嫁よ

2016年11月27日 19:30
聖書箇所: 箴言31:10-31主はこの国に来られる時、栄光の主としてこの地に来られますその時初臨の時に主イエスご自身が、ご自身に対して語られているイザヤ書42章の御言葉を指して「この聖句は〜この日に成就した」と語られたように、私達の元に来られる主はこの聖句を私達の内にことごとく成就します。それはまさに主の栄光の御業。そしてこの栄光の主は私達の内に御心を成就しようと、王として私達の心の王座に着座し、全地をご自身の御心のままに統べ治められるのです。「主は来られる、地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、まことをもってもろもろの民をさばかれる。【詩篇96:13】」まさに全地はこの主の

愛する方を迎えるには

2016年11月20日 19:13
聖書箇所: 箴言31:10-31主はこの国に来られる時、栄光の主としてこの地に来られますその時初臨の時に主イエスご自身が、ご自身に対して語られているイザヤ書42章の御言葉を指して「この聖句は〜この日に成就した」と語られたように、私達の元に来られる主はこの聖句を私達の内にことごとく成就します。それはまさに主の栄光の御業。そしてこの栄光の主は私達の内に御心を成就しようと、王として私達の心の王座に着座し、全地をご自身の御心のままに統べ治められるのです。「主は来られる、地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、まことをもってもろもろの民をさばかれる。【詩篇96:13】」まさに全地はこの主の

主の日に備えよ

2016年11月13日 19:19
聖書箇所: ヨエル1:4-12,2:1,2主は今この国に迫る多くの災害や異常気象、戦争への不安、経済危機への不安などを指し、このことが決して聖書の語る言葉と矛盾していないことを語られています。つまりはこの国の時が満ちている、罪が熟して、滅びへの道へ向かう、自らの罪ゆえののろいを自ら刈り取る時期に向かっていることを、終末の預言と重ねて私達に示しています。その時にこそ、神の思いを内に持ち、神のご計画のために召し集められた教会がどのようであるのかということを、主は見ておられるのです。主は私達が、罪から贖いによって解放され逃れることのできる逃れの町としての役割を担っている、それこそが教会の大きな働きで

罪の故に立て

2016年11月06日 19:02
聖書箇所: ヨエル1:13ー16主は私達の罪のために、贖いの供え物として十字架にかかってくださいました。その贖いを受け取った者は、自らの罪にとどまり続けるのではなく、今度はその贖いの愛を胸に、誰かの罪をとりなす者として、主の前に立つようになります。まさに私達は万民祭司と言われますが、このことにおいても、それは変わりなく、祭司の罪祭の規定同様、この罪のとりなしにより主に生かされ、さらに主の贖いの愛をより深く知る者とされるのです。この地(国)はまさに王なる主イエスキリストを知らず、まるで士師記の時代の荒んだイスラエルの民の様相と同じく、「おのおの自分の目に正しいと見るところをおこなっ【士師記21:
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