あなたへの良き知らせ

2014年07月18日 10:13

【2列王記25:27-30】
25:27 ユダの王エホヤキンが捕え移されて後三十七年の十二月二十七日、すなわちバビロンの王エビルメロダクの治世の第一年に、王はユダの王エホヤキンを獄屋から出して
25:28 ねんごろに彼を慰め、その位を彼と共にバビロンにいる王たちの位よりも高くした。
25:29 こうしてエホヤキンはその獄屋の衣を脱ぎ、一生の間、常に王の前で食事した。
25:30 彼は一生の間、たえず日々の分を王から賜わって、その食物とした。

私達が救われクリスチャンになったということは本当はすごいことです。
しかし、時々私達はそのことを忘れさせられいつの間にか意気消沈させられ、希望もなく、未来も見えず、あるいは今日と変わらない明日を求めるだけで、やっとのような信仰生活を歩む日もあるでしょう。
でも、騙されてはいけません。それはあなたが主から与えられた救いの絶大な意味を見えないようにされ、その喜びを奪おうとされているだけです。
だから、もう一度そこに立ち返って、主の驚くべき御業がいかに恵みに富んだものなのかを見つめ返したいと思うのです。
もしも、救いにより私達が与えられた立場が本当にわかったら、あなたはその中に主にある永遠の深い安らぎ、平安を得ることでしょう。
今日のこの箇所には救われたということがどのようなことを意味するのか、その型となることが語られています。

【ルカ4:17-21】
すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、
「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、
主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。
イエスは聖書を巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。
そこでイエスは、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説きはじめられた。

主イエスご自身がイザヤの預言からこのように語られたように、これが人々に与えられている良い知らせ、福音の本質であり、主が来られた時からあなたの中に成就するもの、主を受け入れ救われた時からあなたはその恵みの中に入れたのです。
「囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、(18節)」とあるように私達はそれまで罪捕らえられ、永遠の滅びと受けるべき、死刑囚でした。
その罪の暗闇に神を見ることもゆるされず光はなく、罪の奴隷として売り渡されたもの、この罪の前に成す術のない自由のないものでした。
それは、エホヤキンに現された姿も同様です。
しかし、主はそこから私達を解放しました。ご自身の命を十字架に差し出し、この死刑囚という立場から私達を贖い出して、その「獄屋から出して(27節)」くださったのです。
そして罪に打ちひしがれ傷ついた私達を、主ご自身がいやし、慰め(28節)てくださいました。
私達は「獄屋(囚人)の服を脱ぎ(29節)」、キリストを着て(ガラテヤ3:27)、さらに驚くべきことに、この地上のどの王よりも高い神の王国の王族としての地位を与えられたのです(28節)。
私達は、一生の間、常に王なるキリストの前で、やがて朽ちるような食物でなく永遠のいのちを与える「神の口から出る一つ一つの言で生きるもの(マタイ4:4)」として食事し(29節)、主との深い交わりを与えられています。
もう私達は何を食べようか何を着ようかと思い悩む必要はありません(マタイ6:31,32)。主ご自身がその全ての必要をご存じで、たまにではなく、また一時的、あるいは気まぐれでもなく、「一生の間、たえず日々の分を王(なるキリスト)から賜わって、(30節)」生きる者とされたのです。
私達に与えられていないものは何一つありません。
エデンの園で神との間に与えられていたもの、その全てが神との和解により主との愛と永遠におけるいのちの交わりのうちに、回復した。
それが救われた私達の本来の姿です。これが私達の希望です。
そしてこの恵みは主との間に永遠に与えられているものなのです。もうここから私達を引き離すものなど存在していないのです(ローマ8:35-39)。
さあ、元気を出してください。
いつまでも偽りに捕らわれずに、本来のあなたの姿を見つめてください。
そしてあなたの主に与えられている今日を喜び、主をほめたたえつつ、一日を過ごしてまいりましょう。
今日もあなたの上に、主の恵みと愛と交わりがとこしえにとどまりますように。