今が新生の時

2016年12月18日 19:46

聖書箇所: サムエル上25章、ルカ5:36ー39
主は私達に今変革を語られています。
それはご自身の栄光を現すにふさわしい器として私達を造り変えるために。
しかし、そのためには私達自身が神の祝福を受ける器として造り変えられることを受け入れ、祈り求めなければ、変革は始まりません。
神は無理矢理には私達を造り変えようとはされないのです。
確かに私達は自らの生き方にあまり変化を求めないかも知れません。
特に救われたままの私達は、魂は救いを受けましたが、しかし生まれたままの肉の性格のままに生活すること、肉の求めるままに生きようとします。
もちろんこのことは神を喜ばせることはできず、むしろ神に敵対する、罪そのものが生み出されていく生き方ですから、そのまま放縦のままに生きるならその道のりは救われる以前の滅びへと向かう道に戻る他ありません。
主は悔い改めて、主の愛に戻るというプロセスを、ここに罪を自覚するというところから始められます。
けれども、この思いに心頑なであるならばその結果は先の通り滅びに向かうのです。
主は私達に変革を促し、今ご自身の変わることのない永遠の中に入れ、その内にしか持つことのできない変わることのない信仰を与えようと、そしてその永遠の内に、私達をキリストの花嫁にふさわしくキリストと同じ姿に、その身丈にまで、栄光から栄光へと造り変えようと望まれています。
それは私達に、本来の神の国に国籍を持つ者としてのふさわしい生き方を歩ませるためなのです。
神はそのことを聖霊と御言葉により私達の内に成し遂げます。
もちろんそれは生来の性格から生まれ変わるという意味に於いて、痛みを伴うものかも知れません。
私達の内にある新しい命である聖霊と、与えられた御言葉は私達を引き裂くほどに、本来の天に生きるべき私達の生き方はこれまでの生来の生き方からほど遠いものと言えるでしょう。
しかし、私達は頑なな愚かな者となってはなりません。
むしろ私達を愛して止まない花婿なる主イエスキリストに愛されるにふさわしく、この身を差し出し、その愛の内に造り変えていただくことを願おうではありませんか。
主がこの地に誕生されたことを祝う待降節の第4週。神は私達がその霊と御言葉をもって新しく生まれる、生まれ変わることを願っておられます。
まさにリバイバルは私達の内側からの変革から始まります。
主が始められるリバイバルの計画がまず私達の内になるよう、共に御言葉に耳を傾けて参りましょう。

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