記事のアーカイブ

Twitterはじめました。

2014年07月22日 21:34
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命の川の音

2014年07月22日 07:13
【エゼキエル47:8-10】 47:8 彼はわたしに言った、「この水は東の境に流れて行き、アラバに落ち下り、その水が、よどんだ海にはいると、それは清くなる。 47:9 おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。これはその水がはいると、海の水を清くするためである。この川の流れる所では、すべてのものが生きている。 47:10...

主の愛を覚えていますか

2014年07月20日 19:18
聖書箇所: マラキ書1:1-5 「神様はあなたを愛しておられます。」 これは信仰者であれば、もう何度も聞いてきた言葉でしょう。 ある時は集会のメッセージの中で。またある時は兄弟姉妹を通して。 神様は、今日もあなたに「わたしはあなたを愛している。」と言われています。”神様が私を愛してくださっている” この事実に今あなたは心からの喜びと感動を覚えておられるでしょうか。 今日のテキストであるマラキ書は、ユダヤの民がバビロン捕囚から預言されていた通りに帰還をゆるされ、その喜びのうちに、神殿とエルサレムの城壁が再建され、人々の心も、再び民族としての再建を果たしていきます。しかし、再び主への熱心

あなたへの良き知らせ

2014年07月18日 10:13
【2列王記25:27-30】 25:27 ユダの王エホヤキンが捕え移されて後三十七年の十二月二十七日、すなわちバビロンの王エビルメロダクの治世の第一年に、王はユダの王エホヤキンを獄屋から出して 25:28 ねんごろに彼を慰め、その位を彼と共にバビロンにいる王たちの位よりも高くした。 25:29 こうしてエホヤキンはその獄屋の衣を脱ぎ、一生の間、常に王の前で食事した。 25:30...

主を喜ばせる行い

2014年07月17日 13:21
【2サムエル2:4-7】 時にユダの人々がきて、その所でダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。人々がダビデに告げて、「サウルを葬ったのはヤベシ・ギレアデの人々である」と言ったので、 ダビデは使者をヤベシ・ギレアデの人々につかわして彼らに言った、「あなたがたは、主君サウルにこの忠誠をあらわして彼を葬った。どうぞ主があなたがたを祝福されるように。 どうぞ主がいまあなたがたに、いつくしみと真実を示されるように。あなたがたが、この事をしたので、わたしもまたあなたがたに好意を示すであろう。 今あなたがたは手を強くし、雄々しくあれ。あなたがたの主君サウルは死に、ユダの家がわたしに油を注いで、彼らの王とし

御言葉に親しむ

2014年07月16日 08:25
【詩篇119:14-16】 わたしは、もろもろのたからを喜ぶように、あなたのあかしの道を喜びます。 わたしは、あなたのさとしを思い、あなたの道に目をとめます。 わたしはあなたの定めを喜び、あなたのみ言葉を忘れません。 主の御言葉に親しむこと、これは命の言葉であるイエスキリストご自身を知り、交わることです。 多くの兄弟姉妹が御言葉を理解しようと学び、あるいは調べ、研究します。 そのことを否定はしません。 しかし、御言葉を知るには大原則があります。 聖書こそ神の御言葉であり、生ける御言葉(ロゴス)であられるキリストが文字として現されたものです。だからこの御言葉は私達の内に生きる聖霊によらなけ

器から溢れるもの

2014年07月13日 19:36
聖霊箇所: ローマ9:22-24 主がその器を聖別されるのは、その器を空にして、またその器をご自身で満たすという目的があるからです。それが私達のこれまでの歩み。 では主はこの器に何を満たそうとされているのでしょうか? 私達はここに神の圧倒的な計画があることを本当にはまだわかっていません。 それは、主ご自身が再びこの地に来られる時、実現する驚くべき計画の下備えを教会の中にすでに始められているということにつながっています。 主がこの地に再び来られるのは、まずこの地を、主ご自身が全地の王となり治めるためです。その統治は千年に及びます。(それに続き最後の審判があって、全ての裁きを終えて、私達は新

教会とは

2014年07月12日 13:35
多くのケースの場合、「教会」という言葉の意味するところを、建物である「教会堂」あるいは宗教組織、団体としての「教会」を指すものであると思われがちです。 これはまず人間の限りある理解において、あるいは社会常識的な知識として、わかりやすい形での理解です。そしてその概念では、本来の「教会」という、神がこの地上に現そうとされている無限の計画を捉えきれることはできないでしょう。 では聖書においては教会はどのようなものとして語られているでしょうか? 聖書において、教会はエクレシア(ギリシャ語)という言葉で表され、召し集められた者という意味を持ちます。つまり、教会は神により召され集められた者、神により選ば

主にある不動の歩み

2014年07月12日 07:11
【1ペテロ5:8-11】 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。 この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。 あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。 どうか、力が世々限りなく、神にあるように、アァメン。 クリスチャンとなった者、主に救われた者は決して苦しみ

主と永遠に共に歩む

2014年07月11日 07:20
【マタイ4:18-20】 さて、イエスがガリラヤの海べを歩いておられると、ふたりの兄弟、すなわち、ペテロと呼ばれたシモンとその兄弟アンデレとが、海に網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師であった。 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 すると、彼らはすぐに網を捨てて、イエスに従った。 人生を変える出会いがあります。それは主イエスとの出会いです。 人生を変えるべき一言があります。それは主イエスから召されたときです。 主に出会った者は人生が変わります。 新しい命を与えられ、新しい人生を歩むからであり、それは私達が本来どのような
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