記事のアーカイブ

主の訪れに気づく

2014年07月10日 07:48
【ルカ4:16-21】 4:16 それからお育ちになったナザレに行き、安息日にいつものように会堂にはいり、聖書を朗読しようとして立たれた。 4:17 すると預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を出された、 4:18 「主の御霊がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、わたしを聖別してくださったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれている者に自由を得させ、 4:19 主のめぐみの年を告げ知らせるのである」。 4:20...

ただ主のみを恐れよ

2014年07月08日 17:38
【詩篇103:13-19】 父がその子供をあわれむように、主はおのれを恐れる者をあわれまれる。 主はわれらの造られたさまを知り、われらのちりであることを覚えていられるからである。 人は、そのよわいは草のごとく、その栄えは野の花にひとしい。 風がその上を過ぎると、うせて跡なく、その場所にきいても、もはやそれを知らない。 しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、主を恐れる者の上にあり、その義は子らの子に及び、 その契約を守り、その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ。 主はその玉座を天に堅くすえられ、そのまつりごとはすべての物を統べ治める。 心弱まるとき、自らには何もなく、力も、良い知

時を知る者

2014年07月06日 19:08
聖書箇所: マタイ24:36(ルカ12:54-56) 主の御心を求めて歩み、主の召しにこたえて生きる者は、時を知って生きる者となります。 イエスキリストは十字架にかかられるためにこの地上に降られ、その召しに従いこの地上を歩まれ続けました。だからこそ、主はご自分の時というのを知っておられました。また、同時に今自分が置かれている時代を見分けておられた。 それはその時のしるしを見分けることと自分の時というのが、召しという意味に於いて、絶妙に関連しているからです。 そうです。主は教会をつまり私達を通して時代に関わる(ご自身を現す)ことを望まれ、私達は主にあって主と共に時代を動かすために、各々の時

器の目的

2014年06月29日 19:59
聖書箇所: 使徒23:11  陶器師である主は、一つの目的をもって器である私達を造られました。つまり、どのようにその器を使うのか。各々に与えられている主の御心にあって、その器を満たされ、御心を成就し、そして主の栄光で満たされる。 だから、器は何の目的で造られたのかを知る必要があります。そしてその器にふさわしく、主の御心に沿って歩むのです。 その目的を神からの召しとか、召命と言います。 器は自らの目的を見失うと、何の用も足さない、何も意味のない存在となります。 神の召しから目を逸らし、目的を忘れて、自らが生きることに目を向ける。自らの目的。自らの満足。 その時、私達はむしろ満足や平安を得る

2つの器と2つの祭壇

2014年06月22日 19:28
聖書箇所: 1コリント 10:14-22 当たり前の話しかも知れませんが、神の聖なる器は神のご用のために用いられなければなりません。それ以外の何の目的のためにも作られていないからです。決して汚れたものを入れたり、他の目的に使用されるべきではありません。それは主をお入れする器であり、主への礼拝のために用いられるものなのです。 しかし、聖書に記されている、主の宮に納められていた金や銀、青銅の尊い器は、決して主への礼拝のみに使われた訳ではありませんでした。 主がダビデ王に永遠の愛をもって約束した神の神殿を、ソロモン王が建設して以来、そのソロモン王でさえ晩年には神に背き、別の神々の祭壇を築き、そ

砕かれた岩

2014年06月19日 18:20
【出エジプト17:1-7】 17:1 イスラエルの人々の全会衆は、主の命に従って、シンの荒野を出発し、旅路を重ねて、レピデムに宿営したが、そこには民の飲む水がなかった。 17:2 それで、民はモーセと争って言った、「わたしたちに飲む水をください」。モーセは彼らに言った、「あなたがたはなぜわたしと争うのか、なぜ主を試みるのか」。 17:3 民はその所で水にかわき、モーセにつぶやいて言った、「あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、わたしたちを、子供や家畜と一緒に、かわきによって死なせようとするのですか」。 17:4...

驚き仰ぎ見る日に

2014年06月15日 19:59
聖書箇所: 2テサロニケ1:10 再び主が来られる再臨の日。私達が主とお会いする日に、私達は主を仰ぎ見て驚嘆するでしょう。 それは主の御姿の麗しさに。しかし同時に主が私達をどれほど愛してくださっていたのかを知って驚嘆する。愛するゆえに私達が主の目にどのように映り、どれほど絶大なものを私達に与えて満ちみち溢れさせようとし、万物に、来たるべき代々に見せつけようとし、また主のご計画のどれほど大きな部分を担わせて下さろうとされていたのかを知るでしょう。 そのことをどれほど多くの兄弟姉妹が知っているでしょうか。 今の私達の信仰生活に、いや日常生活にそのことは大して重要なことには思われないかも知れま

礼拝メッセージ更新。回復いたしました。

2014年06月10日 15:48
礼拝メッセージの更新が遅くなり、誠に申し訳ありませんでした。 いつも更新しております、礼拝メッセージの音声ファイルの録音で障害があり、現在音声ファイルの用意に手間取っています。申し訳ございません。用意ができるまで、ストリーミング放送の方で、メッセージをお聞き下さい。 なお、近日中にいつも通りの形で音声ファイルをお届けできるよう、現在準備中です。 ストリーミング放送がご覧になれないみなさまは今しばらくお待ち下さい。 ストーリミング放送

主をお入れする器

2014年06月08日 19:00
聖書箇所: 2列王記4:1-7 主はご自身の教会を建てられようとされた時、私達をご自身の代わって遣わすという、ご自身の一つの御旨と共に、私達に命の息(霊)を吹きかけられました。(ヨハネ20:21,22) 同様に、私達この地上にある各々の教会も主の御旨を各々持って、この地に遣わされています。 今滅びに向かっているこの国を、神の元に立ち返らせること。3.11の大震災以降、それは私達にとって、神のこの国への悲願を知るに充分なできごとであり、小さい私達ではありましたが、この国の滅びへの破れ口に立ち、主にとりなしを願ったことは忘れてはならない、私達教会のスタートラインでした。 そして、今この教会が

偽りの祭壇を砕け

2014年06月01日 18:32
聖書箇所: ヨハネ5:2-9 先週に続いてルツ記から、メッセージをとり次ぎます。 今度は先週とはまた違う視点からルツ記を見てみたいと思います。 それはルツとナオミの発言の違いについて。 ルツは先週もお話した通りある発言を主は喜ばれました。「あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です。(ルツ1:16)」 しかし、それとは対照的にナオミはその後の展開とは異なる二つの偽りの発言をしているのです。 それは、1:11-13と1:20,21 1:20 「わたしをナオミ(楽しみ)と呼ばずに、マラ(苦しみ)と呼んでください。」。 1:11...
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