嵐がやって来ると

2015年05月11日 20:06

まだ5月なのにもう台風が来るなんてと驚かれている方多いでしょうか。
思いもよらず、嵐に見舞われてしまう。
人生にもそんなことが時としてあるでしょう。
何が原因なのかそれすらわからないまま、でもこの嵐に向き合わなければならない。
明日すらわからない嵐。
まったく人生において、そういうことに出くわすことはないと言い切れる人は一人もいないでしょう。
ならば、その嵐の越え方を知っているか、知っていないかで、生き方が変わると言うものです。
さて、その問題に対しても聖書は明確に私達に答えを多くの箇所で与えています。
では、そんな中のある箇所を見てみましょう。

【詩篇107:23-31】
107:23 舟で海にくだり、大海で商売をする者は、
107:24 主のみわざを見、また深い所でそのくすしきみわざを見た。
107:25 主が命じられると暴風が起って、海の波をあげた。
107:26 彼らは天にのぼり、淵にくだり、悩みによってその勇気は溶け去り、
107:27 酔った人のようによろめき、よろめいて途方にくれる。
107:28 彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、主は彼らをその悩みから救い出された。
107:29 主があらしを静められると、海の波は穏やかになった。
107:30 こうして彼らは波の静まったのを喜び、主は彼らをその望む港へ導かれた。
107:31 どうか、彼らが主のいつくしみと、人の子らになされたくすしきみわざとのために、主に感謝するように。

その明確な答えは主に呼ばわる(28節)と主が救われるです。
この場合の主は、主イエスキリストであるということは言わずもがなでしょう。

【使徒行伝4:10,12】
4:10 あなたがたご一同も、またイスラエルの人々全体も、知っていてもらいたい。この人が元気になってみんなの前に立っているのは、ひとえに、あなたがたが十字架につけて殺したのを、神が死人の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのである。
 [中略]
4:12 この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

聖書の答えはいつも簡潔であり、ストレートです。
そしてそのことを信じた通りに行うとそれが現実の中に答えとして返ってきます。
嵐は神の前ではすでに恐れるべきものではなくなったことを、あなたも人生の中でダイナミックに知ることが出来る。
ある意味それがクリスチャンの醍醐味でもあるのですが。