礼拝メッセージ

教会の誕生の時

2015年05月24日 19:16
聖書箇所: 1コリント15章 ペンテコステの日に聖霊の傾注により誕生した教会。 そこに顕された神の驚くべき力ある御業は世界中へと主イエスキリストにある信仰を広めました。 それは人の力によるものではなく神の圧倒的な大能の力、聖霊によるものであり、それを否定する要素はどこにも存在しません。 では神ご自身が私達の内に住まわれるというような驚くべき奇跡を以て、主は教会に一体何を望まれたのでしょうか。 主はこの天から(父の元から)聖霊の注がれることを待望することと同時に、終わりの日に主イエスご自身がこの地に再び来られ、裁きの後この地を主ご自身が統べ治められるという神の計画、再臨とその後に用意されて

主に寄り頼む

2015年05月17日 19:21
聖書箇所: 歴代志下7:12-16 概略は後日改めてアップします。 まずは礼拝メッセージのダウンロードをどうぞ。 メッセージダウンロード

わが花嫁よ

2015年05月10日 19:29
聖書箇所: ホセア14章 主は私達のすぐ側にまで近づかれご自身の臨在を現してくださっています。 それはどれほど小さくとも主を求める者を主は喜ばれ、主に近づこうとする者に主ご自身が近づいてくださるからです。 そのことは私達にとっては、日々の生活に十字架が現れるていうことでもあり、一時一時の選択が、主を選らぶかそれとも主を退け自分を選ぶかという選択肢の中で、不必要なものを十字架に取り去り、ただ十字架の愛によって、私達が主だけのものとされるための聖別の行程でもあります。 なぜ私達をそれほどに主は愛してくださるのでしょう。 それは私達教会こそキリストの花嫁と言われる、主に愛され、ただひたすらに主を愛

救いの願い

2015年05月03日 19:22
聖書箇所: 1コリント2:16 神の切実なる願いそれは救いの願いです。滅び行こうとするこの地に唯一救いを与えることができるのは主イエスキリストしかいないということを、私達はどれほど明確に認識しているでしょうか。 むしろ、神無くして築かれたこの社会の中で、その厳粛な事実を心のどこかに置き忘れて、日常生活に埋没しているのではないでしょうか。 だからこそ、主は今この救いの願いを、私達にどれほど渇望しているのかを強く語られています。 そしてこの主と心を一つにして、共にこの地を歩む者に、主は神の全能の力をもって答えてくださると言うのです。 聖書が語るあのダイナミックな神の現れを、私達が遣わされる全

遣わされた者として

2015年04月26日 18:19
聖書箇所: ヨハネ17章 主が私達を救うためにこの地に下られたように、私達は主によりこの地に遣わされています。私達は救われた時天に国籍を持つ者とされ、例えようのない無限の神の恵みに預かりました。 しかし主ご自身が無限なる方でありながら有限なるいや小さな小さな一人の人となり、天に居られる方が地に下られました。 だからこそ、私達が救われてなおこの地にあって、主に遣わされているのは、主の御足の跡をたどるためであり、そのことによりキリストの花嫁としてふさわしい者と成長していくためです。 主は私達をこの地に神の国を顕現させるために遣わされました。 そしてご自身の御名によって私達を守り、御言葉によっ

信仰者の歩み

2015年04月19日 17:35
聖書箇所: コロサイ2:8-3:11 概略は後日改めてアップします。 まずは礼拝メッセージのダウンロードをどうぞ。 メッセージダウンロード

神中心の生活

2015年04月12日 18:47
聖書箇所: 2コリント5:14,15 私達が主イエスにあって救われ、新しく生まれたのは、主のために生きるためです。これまで自分を中心に生きてきた私達が、新しく生まれることにより神中心に生きるようになるためです。 本来人はそのように神を中心に生きる者として造られました。 しかし、サタンに偽られ罪を犯し、神から離れて自分を中心に生きる生き方を選び、エデンの園を出されたのです。 まさにその園の中心にあったのは、命の木と善悪を知る木、神と自分のどちらを中心にするか、選ぶかという選択が存在していたのです。 歴史においても、そのように一つの国家でさえ自分中心に生きるか、神中心に生きるかということを神

新しい命にある生活

2015年04月05日 19:55
聖書箇所: 2コリント5:17 主はこのイースターのときに、私達に見るべき大切なものについて語っています。 それは私達が主イエスの十字架の死と復活の恵みを受け救われたことにより与えられた、私達の内に住まわれる聖霊という新しい命について。 この命こそ、生まれながら神から離れようとし罪を犯そうとする私達の性質を根底から覆し、全く新しく神の国に生きるにふさわしい者として生まれ変わらせる新しい命。 そしてその新しい命によって、全てが新しくなったということを見よと語られているのです。 古い生活はもう十字架の上に死を迎え、すでに過ぎ去ったのだと。 この新しい命こそ、私達が神の子とされ、またキリストの花嫁

神の国を見て生きる

2015年03月22日 19:13
聖書箇所: 列王記上10:4-9 私達はまだ主が私達に与えたいと願っているものが如何に絶大なものであるのかということを知りません。 それは主に救われたその時からすでに与えられているものでありながら、私達はそれが如何なるものかということを知ろうともしないで、今の生活や常識の中に、救われる前と変わらず没頭する中で、その知恵を得ることに興味を持つことすらありません。 しかし、もし一度それが如何なるものであるかを知るならば、それは私達の生活を一変させる絶大な力のあるもの、それが私達の救いという事実の中に眠っているのです。 私達の中にあるものこそ、神の御国であり、その全容はソロモンの時代のイスラエ

見よ主のみ姿を

2015年03月15日 19:06
聖書箇所: ヘブル12:2 主はこれまで、私達に目を覚ませ、霊(信仰)の目を開けと語りかけてこられました。 そして、私達はその霊の目を開かれるよう、盲人が主イエスにその目が見えるように望んだように、主に祈ってきました。 だから主は今私達にご自身を見よと、キリストから目を離すなと語りかけられています。 主はその誕生のはるか以前から預言者達に見られ、またアブラハムも主のこの地に救い主として来られる姿を信仰の目をもって見て喜んでいたと語られています。 そして、多くの人々は刺し通された者、十字架にかけられた主イエスを見て、救われ、新しい命を受け、またその命がこの全地に広がって、悔い改めが波のよう
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