罪に勝たれた主

2015年04月24日 14:08

【1ヨハネ3:8,9】
3:8 罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。
3:9 すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。

何と驚くべき事でしょうか。
私達人間は常に自分自身の犯す罪に人生が振り回される生活を送ります。
それにより幾度人生を遠回りし、掛け違え、傷つき、人生が破壊されてきたことでしょう。
しかし神は、神を信じ、神から新しく生まれた者、私達を、むしろその罪を犯し続ける悪魔のわざを滅ぼすために、罪を犯せない者にしたというのです。
そのために神の子がこの地に現れたのだと。そのためにイエス様は、私達の罪のために、十字架にかかって下さったのだと。

人は神から離れ、自分のために自分で行うことの全ては、罪を犯す結果となります。
それは私達の全人生を知り、またどのように生きるのが最もふさわしいかをよく知っておられる、神から離れているからです。
人生において、こんなはずではなかったのにと、明らかに何かを掛け違えたことを実感する時もあるでしょう。
神を信じ、神に人生をゆだね、また神の目的、計画のために生きる人生こそ、私達が人生を掛け違えない人生です。
なぜなら、全ての人は神のご計画(御心、みこころ)によって、この神のご計画(御心)のために生まれてきたからです。
その目的に沿って歩もうとするのであれば、それはまさしく掛け違えることのない神の御心を歩む人生となります。
逆に言えば、この自分の人生を、自分の目的で生きようとして、掛け違って生きようと、神から心離れていることこそが、罪なのです。
そして、私達がイエス様の十字架により罪ゆるされ、神の子とされたのであれば、その内には「神の種(9節)」である聖霊が新しい命として与えられています。
この聖霊こそが、私達が罪を犯し続けるのであれば、その内から罪を犯し続けている私達が、神を悲しませていることを教え、罪を犯すことに良心が刺され、たとえ繰り返そうとしても、罪を犯し続けることができないように、導いてくれるのです。
このとき、自分が神から離れていたこと、そしてそのために犯してしまった罪が、心の内に現されます。
この罪を赦し除いて下さるのは、最初に救われたとき我が罪のためにイエス様がかかってくださった、あの十字架のみです。だから私達はこの十字架の前に出て、罪を告白し、悔い改めを祈るのです。
こうして神に立ち返り、この十字架の御業によって、罪は砕かれ、悪魔のわざは滅ぼされるのです。
私達にはいつもこの十字架の御業が与えられています。そしていつも新しく与えられた命が、聖霊が私達の内に生きているのです。何と幸いなことでしょう。
この命こそ、イエス様の命、この命こそ神を喜ばせる性質を最初から持ち、神を喜ばせ、神の御心、神の御業を成させるために、私達を内から命ごと導くのです。

そうです。もうあなたの悪魔に振り回された人生は終わったのです。あなたはその支配下にはもういないのです。
あなたは神の十字架の奇跡により、神の子とされたのです。

【コロサイ1:13,14】
1:13 神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。
1:14 わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。
※やみの力=悪魔の力

何と喜ぶべきことでしょうか。
だからさあ、この喜びを、この奇跡を、主に感謝致しましょう。

※参照までに今日の聖書箇所の前後の箇所となります。
さらに今日の御言葉の理解がさらに広がればと願い掲載します。ご覧下さい。

【1ヨハネ3:1-10】
3:1 わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。
3:2 愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである。
3:3 彼についてこの望みをいだいている者は皆、彼がきよくあられるように、自らをきよくする。
3:4 すべて罪を犯す者は、不法を行う者である。罪は不法である。
3:5 あなたがたが知っているとおり、彼は罪をとり除くために現れたのであって、彼にはなんらの罪がない。
3:6 すべて彼におる者は、罪を犯さない。すべて罪を犯す者は彼を見たこともなく、知ったこともない者である。
3:7 子たちよ。だれにも惑わされてはならない。彼が義人であると同様に、義を行う者は義人である。
3:8 罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである。
3:9 すべて神から生れた者は、罪を犯さない。神の種が、その人のうちにとどまっているからである。また、その人は、神から生れた者であるから、罪を犯すことができない。
3:10 神の子と悪魔の子との区別は、これによって明らかである。すなわち、すべて義を行わない者は、神から出た者ではない。