福音を恥とはしない

2014年01月23日 19:13

【ローマ人への手紙 1:16】
わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギ リシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。

主は私のために十字架にかかり、私の罪のため、罪を知らない方であるのに罪となられ、死を身に負い、私の贖いの生け贄となってくださいました。そして、死に打ち勝たれ、よみがえり、私を共によみがえらせて、ご自身は命として我が内に住まわれているのです。

そうです。この主イエスの十字架は私のものです。
そうです。この方に私は命を与えられたのです。

この地で渇き切り、罪で汚れ、どうしようもないかけ違いをし、死にしか向かうことのない私の古い命を、主はご自身と共に十字架につけ、新しい命を、永遠の命を私に下さったのです。
この方は今も私の内に生きておられます。絶えることのない愛を注ぎ続けて、私を生かして下さっています。

そうです。私はこの方の愛を恥とはしません。
そうです。だから、私はこの命を得させる福音を恥とはしません。
この方を愛することの他に価値のあることは存在しないのですから。この命はもはや私のためのものではなく、私を愛して下さって自分の命を与えて下さった主のものです。

やがて、この方が再びこの地に来られる時、この方は裁き主として地に来られます。
彼に立ち返ることなく彼に逆らい続け、彼の愛を受け入れなかった人々を、裁くために。彼の愛を受け入れない者は彼に必ず逆らう者となる。永遠に神に逆らう存在となった者を裁くために。
この方の足が愛する彼らを踏み、その衣を血に染め、断腸の悲しみの内に裁きをなされるのです。
この主の御怒りの裁きから、この方が愛する者が一人でも多く救われるために、私達は福音を与えられているのです。
この方が少しでも悲しまないために。

あなたが主からどのようにして命を与えられたのか。主があなたにどのように善くして下さったのか。語って下さい。それが誰かに救いを得させる力となる、あなたに与えられている福音なのです。