福音を伝える

2015年01月15日 08:19

【使徒行伝10:34-43】
10:34 そこでペテロは口を開いて言った、「神は人をかたよりみないかたで、
10:35 神を敬い義を行う者はどの国民でも受けいれて下さることが、ほんとうによくわかってきました。
10:36 あなたがたは、神がすべての者の主なるイエス・キリストによって平和の福音を宣べ伝えて、イスラエルの子らにお送り下さった御言をご存じでしょう。
10:37 それは、ヨハネがバプテスマを説いた後、ガリラヤから始まってユダヤ全土にひろまった福音を述べたものです。
10:38 神はナザレのイエスに聖霊と力とを注がれました。このイエスは、神が共におられるので、よい働きをしながら、また悪魔に押えつけられている人々をことごとくいやしながら、巡回されました。
10:39 わたしたちは、イエスがこうしてユダヤ人の地やエルサレムでなさったすべてのことの証人であります。人々はこのイエスを木にかけて殺したのです。
10:40 しかし神はイエスを三日目によみがえらせ、
10:41 全部の人々にではなかったが、わたしたち証人としてあらかじめ選ばれた者たちに現れるようにして下さいました。わたしたちは、イエスが死人の中から復活された後、共に飲食しました。
10:42 それから、イエスご自身が生者と死者との審判者として神に定められたかたであることを、人々に宣べ伝え、またあかしするようにと、神はわたしたちにお命じになったのです。
10:43 預言者たちもみな、イエスを信じる者はことごとく、その名によって罪のゆるしが受けられると、あかしをしています」。

よく私達は福音という言葉を用います。神からの良き知らせ。
私達の唇からこの福音が語り出され、世界中にまで宣教が行き渡ることは、四つの福音書の全ての書簡の最後に主イエスからの大宣教命令(マタイ28:18-20,マルコ16:15-18,ルカ24:45-49,ヨハネ20:21-23)が語られていることからもわかるように、まさしく主の御心の中心に位置することです。
「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は(ローマ10:15)」とあるように、主はその良き知らせを伝える者の足を麗しいと語り、私達が福音を語ることを、主が如何に喜んでおられるかという、その思いを私達はここで知ることができるのです。
では私達の語るべき福音とは如何なるものなのでしょうか。
つまり私達が大切な誰かに伝道するとき、何を語ればいいのでしょうか。
ここには(使徒行伝10:38-43)、その福音の内容、つまり何を語るべきなのかということが最も短い形でまとめられています。
使徒ペテロ自身が語った最短の福音。

①まず、最初にペテロ自身の証しが語られます。
ペテロ自身が「聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、(1ヨハネ1:1)」ついて、自分自身と主との交わり。
そう、如何に私は主と出会い、如何に愛され、如何にして救われたのかについての証しをする。
②そしてその中心には主イエスの十字架の死と復活が語られ、よみがえられた主と私にどのように交わりをもたれているのか、今生きておられる主について証しする。
③主イエスは再び来られる(再臨)ということ。そしてそのとき主は生者と死者審判者として来られ、自らの言葉や行い(言動)を元に裁かれる(黙示録20:11-15)ということを知らせる。
④この十字架こそが唯一私達の罪をゆるし、罪の報酬たる死から、永遠の滅びから免れさせる唯一の救い(使徒行伝4:12)であると伝え、その罪からのゆるしを得るよう、救い主イエスキリストを信じ受け入れるよう勧める。

というものが福音です。
確かに教会に来ることを勧めることや、教会がどんなところか、キリスト教とはどんなものか、その習慣や形式、歴史などを話することも、きっかけとしては良いかも知れませんが、それらは決して福音ではありません。
それらの言葉が決して救うわけでも命を与えるわけでもないのです。
もちろん、福音を語り、信仰に至らせるのは、無理強いし、説得することではありません。
語る福音が受け入れられ、力を以てその人に働き、救いを得させ、信仰に至らせる(ローマ1:16,17)ものです。
それは人の力によらない、神の力によるものであり、人の力では到底及ばない神の奇跡によるもの(ヨハネ3:3-8,13-15)です。
語るべき機会、与えられる時間、どのような内容を、どこまで話するべきかは神が教えて下さる(マルコ13:10,11)ものです。
けれども、時として、語るべき機会が神に与えられたとしても、それが限られた時間であるときもあります。
ですから、如何なる状況に於いても私達は全力をもって、私達を救って下さった方、救い主イエスキリストを証しする備えをしておくことも必要でしょう。(どんなときでも語れるよう、3分程度で語れる救いの証しを備えておく。)
確かに語るべき言葉は主が与えて下さいますが、一度も語ったことがない、語る自信がないということが、主の福音を語ることを閉ざす理由とならないために。
決して難しいことではありません。あなたの知る主を語ればいいのです。
あなたがどのようなところ(惨めな自分や希望無き人生)から、どのように救われ、どのように愛され、今に至っているのかを。今生きておられる主と共に、どのように喜んで生きているのかを。
私達はおいしものを食べると、それを人に勧めたくなるというのはよくあることではないでしょうか。
そのようなことでさえ私達は一生懸命語れるのに、これほど私達を愛して下さった方を、またこの方が与えて下さった、言葉には到底尽くせない、新しい命を与えられたことによって得た、新しい生き方、人生の素晴らしさを、どうして語らないでいられるでしょう。
それもあなたの大切な人達にはなおさらのことではないでしょうか。
私達の接する周りの人達にいつ会える機会が失われるかは誰にもわかりません。
しかし、彼らは福音が語られなければ、何も聞かず知らされないまま、確実に何の判断もできぬまま永遠の滅びに向かっていくのです。(ルカ16:19-31)
あなたを救って下さった主にとっては、あなたの大切な人が滅びることは、私達の思う以上に筆舌しがたい悲しみ、断腸の思いで忍耐されておられるのです。

【エレミヤ31:20(文語訳)】
31:20 我(われ)彼(かれ)にむかひてかたるごとに彼(かれ)を念(おも)はざるを得(え)ず是(ここ)をもて我(わが)膓(はらわた)かれの爲(ため)に痛(いた)む我(われ)必(かなら)ず彼(かれ)を恤(あはれ)むべし

ですから、この福音をあなたの口から語る機会が与えられるよう祈りましょう。その時語るべき言葉が与えられるよう今から備え祈っていきましょう。

さあ、一人でも永遠の滅びから救われるために、共に祈りましょう。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【マタイ28:18-20】
28:18 イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。
28:19 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、
28:20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

【マルコ16:15-20】
16:15 そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。
16:16 信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
16:17 信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
16:18 へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
16:19 主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。
16:20 弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。〕

【ルカ24:45-49】
24:45 そこでイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心を開いて
24:46 言われた、「こう、しるしてある。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。
24:47 そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。
24:48 あなたがたは、これらの事の証人である。
24:49 見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」。

【ヨハネ20:21-23】
20:21 イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。
20:22 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。
20:23 あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

【1ヨハネ1:1-4】
1:1 初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について__
1:2 このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである__
1:3 すなわち、わたしたちが見たもの、聞いたものを、あなたがたにも告げ知らせる。それは、あなたがたも、わたしたちの交わりにあずかるようになるためである。わたしたちの交わりとは、父ならびに御子イエス・キリストとの交わりのことである。
1:4 これを書きおくるのは、わたしたちの喜びが満ちあふれるためである。

【黙示録20:11-15】
20:11 また見ていると、大きな白い御座があり、そこにいますかたがあった。天も地も御顔の前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
20:12 また、死んでいた者が、大いなる者も小さき者も共に、御座の前に立っているのが見えた。かずかずの書物が開かれたが、もう一つの書物が開かれた。これはいのちの書であった。死人はそのしわざに応じ、この書物に書かれていることにしたがって、さばかれた。
20:13 海はその中にいる死人を出し、死も黄泉もその中にいる死人を出し、そして、おのおのそのしわざに応じて、さばきを受けた。
20:14 それから、死も黄泉も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
20:15 このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。

【使徒行伝4:12】
4:12 この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。

【ローマ1:16,17】
1:16 わたしは福音を恥としない。それは、ユダヤ人をはじめ、ギリシヤ人にも、すべて信じる者に、救を得させる神の力である。
1:17 神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、「信仰による義人は生きる」と書いてあるとおりである。

【ヨハネ3:3-8,13-15】
3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
3:4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
3:5 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。
3:6 肉から生れる者は肉であり、霊から生れる者は霊である。
3:7 あなたがたは新しく生れなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。
3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」。
 [中略]
3:13 天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。
3:14 そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。
3:15 それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。

【マルコ13:10,11】
13:10 こうして、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならない。
13:11 そして、人々があなたがたを連れて行って引きわたすとき、何を言おうかと、前もって心配するな。その場合、自分に示されることを語るがよい。語る者はあなたがた自身ではなくて、聖霊である。

【ルカ16:19-31】
16:19 ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
16:20 ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、
16:21 その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。
16:22 この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。
16:23 そして黄泉にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。
16:24 そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。
16:25 アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。
16:26 そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。
16:27 そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。
16:28 わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。
16:29 アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。
16:30 金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。
16:31 アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。