神の国を来たらしめる者

2016年01月10日 19:49

聖書箇所: エペソ2:1-7

私達は十字架の贖いにより、神から「めぐみみにめぐみを加えられた(ヨハネ1:16)」と言われるほどに大きな恵みを与えられています。
それはこの地に今生きていたとしても、天の御国に行き、この天の御国を味わう。その天の祝福を与えられているからこそ、地にある祝福を添えて与えられている。それほどの驚くべき恵みを受けているのです。
主が十字架の上で、あれほどに苦しまれたのは、罪の中から救い出し、さらにこの天の御国に生かし、その恵みに預からせるために他なりません。
しかし私達はまだそれを本当には味わい知ってもいないし、私達に与えられている根本的な祝福であり信仰の基盤となるものでありながら、それを渇き求めてもいません。
が、これを得ずして、クリスチャンとして何の意味がありましょう。
そして、その全ての根元は十字架にあります。
この十字架の苦しみを知り、その罪を贖われたからこそ、私達はその十字架を宣べ伝えることができ、またこの十字架により、死から救われ永遠に命を与えられたからこそ、その喜びを持って神を賛美することができる。始めて礼拝をささげることができるのです。
私達はこのように、この地で主の宮を建て上げるという、やがて神の御国が完成するその日に向けて神のご計画のために救われ新たに生まれた者であり、まただからこそ私達は万民祭司と言われる者、そのように私達は信仰を成熟させ成人としての信仰者の歩みを目指す必要があるのです。
この地において私達はその身にイエスのよみがえりの命が現れるために、患難の中に生きるかも知れません。
ただ居るだけで、霊的戦いは絶えず、あるいは人の目には道無き道を進んでいるように感じるときもあるかも知れませんが、人の想像を超えた無限の神の御業を見る生き方をするということは聖書のあらゆる箇所で証しされているように、そのような無から有が生み出されるような天地万物を創造された神にのみ成すことのできる御業を見る生き方であり、信仰の先人達もそのように歩みながら、神の御国をこの地に顕現させ、神がこの地を勝ち取るのをその身に体験して行ったのです。
そのように歩む者こそ、神の計画を進めて行く者、本来神にあって生きるクリスチャンと言われる者の生き方なのです。
神は想像を絶する絶大な勝利の力を、要塞をも破壊する力をも私達に与えたと、今年励ましてくださっています。
主にあってこの滅ぶべき国を主の元に立ち返らせるために、救いを全地に行き渡らせるために、雄々しく立とうではありませんか。
今回はクリスチャンとして私達に与えられている、神の御国を来たらしめるための力について、私達の本来のクリスチャンの役割、目的と言ったことにも触れながら、共に考えていきたいと思います。


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