神の国の福音 私達の本当の姿~花嫁として~

2013年07月31日 15:27

【イザヤ 43:4】
わたしの目には、あなたは高価で尊い。

この御言葉の本当の意味を知っているでしょうか?
「わたしの目」=「神の目」に私達がどのように映っているのかを知る時、私達はこの言葉の真価を受け取ることになります。
つまり、ここには私達の本当の姿が投影されているのであり、その驚くべき私達の姿に、圧倒的な神の恵みが私達に注がれていることを知ることができるのです。

【エゼキエル 16:4-14】
あなたの生れについていえば、その生れた日に、へその緒は切られず、水で洗い清められず、塩でこすられず、また布で包まれなかった。
ひとりもあなたをあわれみ見る者なく、情をもってこれらのことの一つをも、あなたにしてやる者もなく、あなたの生れた日に、あなたはきらわれて、野原に捨てられた。
わたしはあなたのかたわらを通り、あなたが血の中にころがりまわっているのを見た時、わたしは血の中にいるあなたに言った、『生きよ、
野の木のように育て』と。すなわちあなたは成長して大きくなり、一人前の女になり、その乳ぶさは形が整い、髪は長くなったが、着物がなく、裸であった。
わたしは再びあなたのかたわらをとおって、あなたを見たが、見よ、あなたは愛せられる年齢に達していたので、わたしは着物のすそであなたをおおい、あなたの裸をかくし、そしてあなたに誓い、あなたと契約を結んだ。そしてあなたはわたしのものとなったと、主なる神は言われる。
そこでわたしは水であなたを洗い、あなたの血を洗い落して油を塗り、
縫い取りした着物を着せ、皮のくつをはかせ、細布をかぶらせ、絹のきれであなたをおおった。
また飾り物であなたを飾り、腕輪をあなたの手にはめ、鎖をあなたの首にかけ、
鼻には鼻輪、耳には耳輪、頭には美しい冠を与えた。
このようにあなたは金銀で飾られ、細布、絹、縫い取りの服をあなたの衣とし、麦粉と、蜜と、油とを食べた。あなたは非常に美しくなって王の地位に進み、
あなたの美しさのために、あなたの名声は国々に広まった。これはわたしが、あなたに施した飾りによって全うされたからであると、主なる神は言われる。

神を知らず、罪の中に転げまわり、助ける者もなく、掛け違えた人生を歩み続けていた私達を主イエスは救ってくださいました。それは私達をご自身の花嫁とするためです。
聖書の結論、神のご計画の結論は主イエスと、彼を愛する者である救いを受けた私達、花嫁との結婚です。
そしてその計画は聖書の最初から描かれています。それは最初の人、アダムとエバの結婚。
全ての人はこの二人の結婚を根源としてます。人は結婚という事実の上に神の祝福を受け、子孫を増やし続けます。今日もその事実は何ら変わることはありません。全ての人が漏れることなくこの結婚という事実の上に生まれ、結婚の奥義はここに受け継がれています。
言い方をかえるのであれば、神は全ての人の根源である結婚の中に、この聖書の結論を重ねて語り続けておられるのであり、この結婚は聖書の最初から最後までを貫く、神の奥義であると言うができるのです。
事実、神が私達を救われた花嫁としての神の選びは、万物が造られる以前にあったことが聖書に語られているのです。

【エペソ 1:3-7】
ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、
みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、
わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。
これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。
わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。

つまり、主イエスは私達が生まれる(天地が造られる)前から、私達を花嫁として選んでおられたが、生まれ持って罪を持ち、神を退け、罪の中に転がる私達をご自身の血(命)の代価により買い取られた。
そして、ご自身の血で罪に汚れ果てた私達を洗い、救いの衣を着せられたのです。
花嫁にふさわしい者として、主ご自身がその全ての飾りを与え、私達にまとわせたその飾り物が完全であったからこそ、その美しさのために、私達の名は諸国の民の間に広まるのです。
私達が与えられた救いとはいかなる壮大なものでしょうか。
この恵みの大きさにあなたの想像と理解は追いつけないかも知れません。
何せ主はご自身にふさわしい花嫁とするために、主の栄光の内に、主と同じかたちに姿が変えられて行くまで、私達をご自身で飾って下さるのです。

【2コリント 3:18】
わたしたちはみな、顔おおいなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられていく。これは霊なる主の働きによるのである。

そして、それは救いを受けたその時から、すでに全てが私達の内に住まう御霊なる主によって与えられているのです。
主イエスの花嫁としての主の栄光に輝くあなたの姿が本当のあなたの姿、それこそが主によって新しく生まれたあなたの真のアイデンティティーです。
あなたはここに注がれている花婿主イエスの愛がわかるでしょうか?
花婿は花嫁を美しく飾らないではいられないのです。その栄光の輝きは全て花婿のため。全ては花婿が栄光を受け、その喜びを共にするためなのです。
花婿の愛を知らない花嫁を、主は何と悲しまれることでしょう。

【エペソ 3:17-21】
また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、
すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、
また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。
どうか、わたしたちのうちに働く力によって、わたしたちが求めまた思うところのいっさいを、はるかに越えてかなえて下さることができるかたに、
教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくあるように、アァメン。

神の目に映る本当のあなたの姿の価値をあなた自身が知る必要があります。
なぜなら、それを知らないではあなたは救いを受けるまでの惨めな姿と何も変わらないままで、神があなたを高価で尊いと言っているように勘違いをするでしょう。
しかし、主は私達を花嫁にふさわしい者にされようとしているのです。そして全てはすでに与えられている。何も知らないままでそこに至ることはありません。その姿のまま生涯を歩まなければならないという惨めな歩みを主は望んでいないのです。
花婿の愛を知らない花嫁を、主はどれほど悲しまれるでしょうか?
だからこそ、この愛を知るために、またさらには花嫁が花婿を愛するように、主を愛するということを知るために、私達はこの生涯を歩むのです。

あなたが主に在る本当のアイデンティティーを知り、想像を超えた豊かな歩みを始めることができますように。