永遠の罪のとりなし手

2016年03月20日 20:07

聖書箇所: ゼカリヤ12:10-14

主から離れ、主に逆らい、自らのために、自己目的のうちに、自己中心に生きる、私達の罪の性質は、その罪により人生の歩みを掛け違え、その積み重なる罪は、死へと滅びへと私達を導く。
積み重なる罪はもはや個人だけの問題ではなく、この地はこの国は神を退け、溢れる罪は問題を山積みに、さらに取り返しのつかない大きな罪を犯そうと、時代は進んでいます。
まさにこの国は滅びに向かう、その危険な選択を取り続ける時代の流れの中に私達は生きている。
主イエスはここに、ご自身をその命をささげてとりなす者として、十字架につけられました。
そのとりなしにより、私達は救いを得、今平安を得ています。
その深いとりなしは、人が最初に罪を犯したその時から、神の御国がやがて来られる主と共に完成し、永遠の計画の中に私達が主と共に住まい平安を得るに至るまで、その全てに渡って行き届いて、つまりはその深いとりなしのゆえに、全ての人は救いを得、さらにその救いが永遠の中で完成に至るのです。
何と大いなる愛でしょうか。
主は今私達にこの真のとりなし、救いの内に永遠の命を得るようにと、このとりなしの愛の如何に深く大いなるものかを語りかけてくださっています。
今回はイスラエルの真のとりなし手としてその命をもささげ、まさに永遠の救いの計画にまでそのとりなしが神に聞き入れられた王ヨシアに着目して、主の救いとその愛についてもう一度見つめていきたいと思います。


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