永遠の知恵

2014年12月04日 13:43

【箴言8:32-36】
8:32 それゆえ、子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの道を守る者はさいわいである。
8:33 教訓を聞いて、知恵を得よ、これを捨ててはならない。
8:34 わたしの言うことを聞き、日々わたしの門のかたわらでうかがい、わたしの戸口の柱のわきで待つ人はさいわいである。
8:35 それは、わたしを得る者は命を得、主から恵みを得るからである。
8:36 わたしを失う者は自分の命をそこなう、すべてわたしを憎む者は死を愛する者である」。

ここで語られる知恵という言葉は少し不思議な語られ方をしています。

【箴言8:1-4】
8:1 知恵は呼ばわらないのか、悟りは声をあげないのか。
8:2 これは道のほとりの高い所の頂、また、ちまたの中に立ち、
8:3 町の入口にあるもろもろの門のかたわら、正門の入口で呼ばわって言う、
8:4 「人々よ、わたしはあなたがたに呼ばわり、声をあげて人の子らを呼ぶ。

まるで知恵が一人の人のように人々に語りかける姿。これは箴言8,9章に共通する表現ですが、このように知恵に人格が存在するかのような表し方がされているのには、ここに知恵の本質が表されていることと関わっています。

【箴言8:12】
8:12 知恵であるわたしは悟りをすみかとし、知識と慎みとをもつ。

この言葉は実は「キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている。(コロサイ2:3)」と語られている御言葉と同じことを表しています。
もう少しわかりやすくお話するなら、

【箴言】
8:22 主が昔そのわざをなし始められるとき、そのわざの初めとして、わたしを造られた。
8:23 いにしえ、地のなかった時、初めに、わたしは立てられた。
8:24 まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、わたしはすでに生れ、
8:25 山もまだ定められず、丘もまだなかった時、わたしはすでに生れた。
8:26 すなわち神がまだ地をも野をも、地のちりのもとをも造られなかった時である。
8:27 彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、わたしはそこにあった。
8:28 彼が上に空を堅く立たせ、淵の泉をつよく定め、
8:29 海にその限界をたて、水にその岸を越えないようにし、また地の基を定められたとき、
8:30 わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、
8:31 その地で楽しみ、また世の人を喜んだ。

この言葉は創世記1章の天地創造の場面を表しており、

【ヨハネ】
1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
1:2 この言は初めに神と共にあった。
1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

と並べて読んでみると、同じことを表していることがわかると思います。
そうです。ここで知恵として呼びかけているのは驚くべきことに主イエスキリストであるということがわかるのです。
つまりここで私達は、知恵である方、神の言葉である方がこの地にくだられ、今まさに私達に語りかけられているのだということを知ることができるでしょう。

【ヨハネ】
1:14 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。

今私達はこの神の言葉を内に生きるキリストご自身の私達への内側から(聖霊から)の直接の語りかけとして、また外からはいつでも読み、聞くことのできる、聖書の御言葉として、受け取ることができるのです。
何と驚くべきことに天地創造をされた神の言葉が生きて働き、内から外から私達に語りかけ、私達の人生を造って下さる、あるいは私達自身そのものを造ってくださるのです。
それは冷たい死んだ言葉ではなく、このように命を持って私達に温かく語りかける、心を持った言葉として、さらにこの語りかける方は神ですから、私達の全てを知って(詩篇139:1-8,13-16、ルカ12:4-7、ローマ8:27)、そのときどきに私達を最善の道へと導くように語りかけて下さるのです。

【申命記】
26:16 きょう、あなたの神、主はこれらの定めと、おきてとを行うことをあなたに命じられる。それゆえ、あなたは心をつくし、精神をつくしてそれを守り行わなければならない。
26:17 きょう、あなたは主をあなたの神とし、かつその道に歩み、定めと、戒めと、おきてとを守り、その声に聞き従うことを明言した。
26:18 そして、主は先に約束されたように、きょう、あなたを自分の宝の民とされること、また、あなたがそのすべての命令を守るべきことを明言された。
26:19 主は誉と良き名と栄えとをあなたに与えて、主の造られたすべての国民にまさるものとされるであろう。あなたは主が言われたように、あなたの神、主の聖なる民となるであろう」。

イスラエルの民に語られた御言葉は「キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった(エペソ2:12)」私達にも、主イエスの十字架の大きな代価により(エペソ2:11-13,19)、このように生きた言葉として私達にも与えられ、その御言葉により私達も神の聖なる民、宝の民とされているのです。
だから今主は私達に「それゆえ、子供らよ、今わたしの言うことを聞け、わたしの道を守る者はさいわいである。教訓を聞いて、知恵を得よ、これを捨ててはならない。(箴言8:32,33)」と語りかけているのです。
そして同時に、この神の御言葉を軽んじ退ける者に、「わたしを失う者は自分の命をそこなう、すべてわたしを憎む者は死を愛する者である(箴言8:36)」と明確な結果が待ち受けていることを強く警告しています。
主の御言葉を軽んじ、ただ聞き流しているだけなら、この恵み御言葉は私達自身とは何の関係もないものとなり、私達の変わることのないと思われた平安な日々でさえ、ある日あまりに簡単に脆く崩れ去っていくことを主イエスご自身も語られています。

【ルカ6:47-49】
6:47 わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。
6:48 それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。
6:49 しかし聞いても行わない人は、土台なしで、土の上に家を建てた人に似ている。激流がその家に押し寄せてきたら、たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである」。

あなたは何に寄り頼んでいるでしょうか?
「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。(マタイ24:35)」と言われる主の御言葉に寄り頼み、これを基とし、これに従い生きるのであれば、私達の歩みは神にあって永遠に変わることのない、永遠の命の歩みとなることでしょう。

あなたは今神の御言葉にどのように向き合っているでしょうか?

【1テモテ3:16-4:4】
3:16 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
3:17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
4:1 神のみまえと、生きている者と死んだ者とをさばくべきキリスト・イエスのみまえで、キリストの出現とその御国とを思い、おごそかに命じる。
4:2 御言を宣べ伝えなさい。時が良くても悪くても、それを励み、あくまでも寛容な心でよく教えて、責め、戒め、勧めなさい。
4:3 人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、
4:4 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。

【サムエル上15:22,23】
15:22 サムエルは言った、「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる。
15:23 そむくことは占いの罪に等しく、強情は偶像礼拝の罪に等しいからである。あなたが主のことばを捨てたので、主もまたあなたを捨てて、王の位から退けられた」。

もう一度、この御言葉から、私達自身の主への態度を省みつつ、日々の歩みを神の御言葉にある永遠に盤石なものとしていこうではありませんか。
共に祈りましょう。

※聖書の引用箇所です。ご参照でください。

【詩篇139:1-8,13-18】
139:1 主よ、あなたはわたしを探り、わたしを知りつくされました。
139:2 あなたはわがすわるをも、立つをも知り、遠くからわが思いをわきまえられます。
139:3 あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。
139:4 わたしの舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます。
139:5 あなたは後から、前からわたしを囲み、わたしの上にみ手をおかれます。
139:6 このような知識はあまりに不思議で、わたしには思いも及びません。これは高くて達することはできません。
 [中略]
139:13 あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。
139:14 わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。
139:15 わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。
139:16 あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。
139:17 神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。
139:18 わたしがこれを数えようとすれば、その数は砂よりも多い。わたしが目ざめるとき、わたしはなおあなたと共にいます。

【ルカ12:4-7】
12:4 そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。
12:5 恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。
12:6 五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。
12:7 その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

【ローマ8:27】
8:27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。

【エペソ2:11-13,19】
2:11 だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、
2:12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。
2:13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。
 [中略]
2:19 そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである。