永遠という視点

2015年02月04日 12:44

【2コリント5:10-14】
5:10 なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。
5:11 このようにわたしたちは、主の恐るべきことを知っているので、人々に説き勧める。わたしたちのことは、神のみまえには明らかになっている。さらに、あなたがたの良心にも明らかになるようにと望む。
5:12 わたしたちは、あなたがたに対して、またもや自己推薦をしようとするのではない。ただわたしたちを誇る機会を、あなたがたに持たせ、心を誇るのではなくうわべだけを誇る人々に答えうるようにさせたいのである。
5:13 もしわたしたちが、気が狂っているのなら、それは神のためであり、気が確かであるのなら、それはあなたがたのためである。
5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。

私達が主の御言葉を語るのはキリストの愛の強い迫りを感じているからです。
それ以上の理由を探しても、おそらく答えうることは見つからないでしょう。
その燃える主の熱情により、私達は主のために気が狂うほどの愛をもって、同時に知性においてはその繊細なる神の御言葉を、聞く人々に適切に届き受け入れられるように、気を確かに冷静さをもって語るのです。
多くの人々はこの地上でのことしか考えることをせず、あるいは救われた兄弟姉妹においても、世との妥協の中にせっかく救われ与えられた新しい命を、その中に埋没させる歩みを続けてはいないでしょうか。
しかし、キリストの愛は、今日明日の生活しか見ない、私達の近視眼的な生き方に、永遠(天)の視点において最も重要なことがあるということを強く迫っているのです。
それは「わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならない(2コリント5:10)」という、厳粛な事実。
天地万物を造られた神を知る者は、私達の全てを知るこの神の御前に、やがてこの地の歩みを終えて、必ず立つ。そのときに、どのように主の御前に立つのかということを、私達は無視して生きることはできないのです。
それが「主の恐るべきことを知っている(2コリント5:11)」ということです。
主は私達の全ての歩みを知り、全て思うこと、言葉にしたことを知っておられるのです。
この方を悲しませ、怒らせ、失望させるような歩みを、自らの全てを十字架の上にささげ、実にご自分の命までも私達に与えて贖ってくださった主の、これほどまでに私達を愛して下さる愛の前に、どうしてすることができるでしょうか。

また、この方が与えてくださった命は永遠を知り永遠を思うことのできる永遠の命であり、天から降ってきた天の御国の素晴らしさの全てを知る命(ヨハネ3:31-34)なのです。

【1ペテロ1:8,9】
1:8 あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。
1:9 それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。

ですから、私達は救われ新しく生まれたことを知ったそのときから、この地上では与えることのできないような輝くような喜びに満ち、主イエスを見ずとも、自分のために十字架にかかられた主の愛を知り、最初からその愛に愛をもって答えようと歩み始めるのです。
この新生の喜びを、どうして世の雑事に心奪われ、簡単に失って良いでしょうか。
すでに私達の全てを満たし、また全てに勝利を得られた主イエスから目を離し、地上のことしか見えなくなって、永遠を思い、(この地上で先駆けて)天に生きるという、言葉に尽くせないほどの大きな恵みを失って良いでしょうか。
私達はいつでも、主に祈り、やがて主と深く交わり、主に感謝し、主を賛美し、主を崇める(礼拝する)とき、神の御座近くに安らい、天の御国に生きる、この視点にもう一度立つことがゆるされるのです。
それなのにどうして、救われる「以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く(エペソ4:22)」生き方で、この「地上のものに心を引かれて(コロサイ3:2)」歩んでいって良いでしょうか。
全てのものは時がくれば、「虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出(マタイ6:19)」されてしまうようなもの。
ただ「朽ちるもの(1コリント15:50)」なのです。

【2コリント5:1-9】
5:1 わたしたちの住んでいる地上の幕屋がこわれると、神からいただく建物、すなわち天にある、人の手によらない永遠の家が備えてあることを、わたしたちは知っている。
5:2 そして、天から賜わるそのすみかを、上に着ようと切に望みながら、この幕屋の中で苦しみもだえている。
5:3 それを着たなら、裸のままではいないことになろう。
5:4 この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。
5:5 わたしたちを、この事にかなう者にして下さったのは、神である。そして、神はその保証として御霊をわたしたちに賜わったのである。
5:6 だから、わたしたちはいつも心強い。そして、肉体を宿としている間は主から離れていることを、よく知っている。
5:7 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。
5:8 それで、わたしたちは心強い。そして、むしろ肉体から離れて主と共に住むことが、願わしいと思っている。
5:9 そういうわけだから、肉体を宿としているにしても、それから離れているにしても、ただ主に喜ばれる者となるのが、心からの願いである。

主の御前に立つ日をどのように迎えるか、主を恐れるという視点は、私達の人生をどのように歩むのかという重要なことに行き当たります。
そしてそれは軽視されがちな、日常をどのように過ごすか、日々をどのように主のために大切に過ごすかということに関わるのです。

あなたは過ぎれば決して帰ることのない今日のこの日を、どのように過ごしますか?

【ローマ14:7-9】
14:7 すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。
14:8 わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。
14:9 なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【ヨハネ3:31-34】
3:31 上から来る者は、すべてのものの上にある。地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る。天から来る者は、すべてのものの上にある。
3:32 彼はその見たところ、聞いたところをあかししているが、だれもそのあかしを受けいれない。
3:33 しかし、そのあかしを受けいれる者は、神がまことであることを、たしかに認めたのである。
3:34 神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。

【エペソ4:17-24】
4:17 そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める。あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。
4:18 彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、
4:19 自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている。
4:20 しかしあなたがたは、そのようにキリストに学んだのではなかった。
4:21 あなたがたはたしかに彼に聞き、彼にあって教えられて、イエスにある真理をそのまま学んだはずである。
4:22 すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人を脱ぎ捨て、
4:23 心の深みまで新たにされて、
4:24 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人を着るべきである。

【コロサイ3:1-11】
3:1 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。
3:2 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。
3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。
3:5 だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。
3:6 これらのことのために、神の怒りが下るのである。
3:7 あなたがたも、以前これらのうちに日を過ごしていた時には、これらのことをして歩いていた。
3:8 しかし今は、これらいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。
3:9 互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、
3:10 造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。
3:11 そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。

【マタイ6:19-21】
6:19 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
6:20 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
6:21 あなたの宝のある所には、心もあるからである。

【1コリント15:50】
15:50 兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。