朽ちないものを見続ける

2014年07月25日 21:02

【1ペテロ1:23-25】
1:23 あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。
1:24 「人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。
1:25 しかし、主の言葉は、とこしえに残る」。これが、あなたがたに宣べ伝えられた御言葉である。

私達が「朽ちる種からではなく、朽ちない種(1ペテロ1:23)」である神の「生ける御言(1ペテロ1:23)」によって新たに生まれたのは、朽ちることのない神の御国、神の「天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ(1ペテロ1:4)」ためです。

【1ペテロ1:3-5】
1:3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、
1:4 あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。
1:5 あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。

朽ちるもの、やがてはかなく消え去るものによっては、朽ちないものを受け継ぐことはできません。永遠に変わることのない、朽ちないものによらなければ、朽ちないものを受け継ぐことはできないのです。
朽ちることのない永遠の命、受け継ぐべき神の国、そして父の相続と言われる天の資産。
私達が新たに生まれたのは、この朽ちない絶大なる価値を持つ宝を受け取るためなのです。
そして、そのことが完成するのは「終りの時に啓示さるべき救にあずかる」時、私達の「からだのあがなわれ(ローマ8:23)」る時に、成就するのです。それは私達がよみがえりの栄光のからだを受ける時です。

【1コリント15:50-55】
15:50 兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。
15:51 ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。
15:52 というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。
15:53 なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。
15:54 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
15:55 「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。

多くの人達がこの朽ちないもののために生きるのではなく、朽ちるもののために生きています。

【ヨハネ6:27】
6:27 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。

この地上で生きるために、朽ちる食べ物を得ようとして生きる。しかしこのことは決して朽ちないものを受け継ぐための生き方ではありません。むしろ、朽ちるものに目を奪われ、朽ちないものを見失い、受け継ぐべき大いなるものを失うための歩みであるということができます。
なぜなら、その心はすでに終わりの日の希望から離れ、神の完全なる救いによって、朽ちないものを受け取るという、大いなる喜びから、興味を失ってしまっているからです。
また、神の驚くべき計画に無感動となり、「自分の欲情のままに生活し、(2ペテロ3:3)」神の計画を「あざける者(2ペテロ3:3)」となり、また人々にその誤った常識を吹聴する者とさえなるからです。

【2ペテロ3:3,4】
3:3 まず次のことを知るべきである。終りの時にあざける者たちが、あざけりながら出てきて、自分の欲情のままに生活し、
3:4 「主の来臨の約束はどうなったのか。先祖たちが眠りについてから、すべてのものは天地創造の初めからそのままであって、変ってはいない」と言うであろう。

しかし私達を新しく生まれさせた「朽ちることのない」神の御言は、朽ちるもの全てが火に焼き尽くされる裁きの日を明確に語り、いやむしろ「今の天と地とは、同じ御言によって保存され(2ペテロ3:7)」、裁きの日が神のあわれみにより待たれているのです。

【1ペテロ3:5-7】
3:5 すなわち、彼らはこのことを認めようとはしない。古い昔に天が存在し、地は神の言によって、水がもとになり、また、水によって成ったのであるが、
3:6 その時の世界は、御言により水でおおわれて滅んでしまった。
3:7 しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。

だからこの神のあわれみの時を、朽ちるものに心奪われ無駄にすることがあってはなりません。私達の歩みは刻一刻この終わりの時に向かっており、クリスチャンの見るべき視点も、生きる目的もこのためにあるのです。

【1ペテロ3:8-13】
3:8 愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。
3:9 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。
3:10 しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。
3:11 このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、
3:12 極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。
3:13 しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。

多くの教会が、そして兄弟姉妹が朽ちるものを中心に、その視点から全てを見つめ、信仰生活を歩むことを、常識としているように思われます。
しかし、これらは私達が与えられているもののごく一部分であり、添えて与えられているもので、私達の受け取るべき絶大なる資産そのものではありません。

【マタイ6:31-33】
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

クリスチャンの本当の目的に目を覚ましましょう。
神が私達に何を与え、どのように歩むことを望んでおられるのか。
神は溢れるほど私達を愛すればこそ、
その計画は滅びではなく、言葉に言い尽くせない大いなる喜びと、輝く栄光の歩みなのです。

ですから、あなたに伺います。
あなたは、まだ朽ちるものを見続けて歩みますか?
それとも、朽ちないものを見続けて歩みますか?