時を知る者

2014年07月06日 19:08

聖書箇所: マタイ24:36(ルカ12:54-56)

主の御心を求めて歩み、主の召しにこたえて生きる者は、時を知って生きる者となります。
イエスキリストは十字架にかかられるためにこの地上に降られ、その召しに従いこの地上を歩まれ続けました。だからこそ、主はご自分の時というのを知っておられました。また、同時に今自分が置かれている時代を見分けておられた。
それはその時のしるしを見分けることと自分の時というのが、召しという意味に於いて、絶妙に関連しているからです。
そうです。主は教会をつまり私達を通して時代に関わる(ご自身を現す)ことを望まれ、私達は主にあって主と共に時代を動かすために、各々の時代、地域に遣わされているのです。
だからこそ、主は時のしるしを見分け、目をさまして、主が来られるのに備えて用意をしていなさいと言われるのです。
確かに、主イエスがこの地上に来られ(初臨)、十字架にかかられた時から、時代は終末の時代に突入しています。
そして、日々刻一刻と時代は終わりに向かっています。
マタイ24章、マルコ13章、ルカ17,21章、黙示録を見るのであれば、まさしく今の時代はここに語られている通り、終末の時代の中のさらに終わりの時に近づいていることがわかります。
これは確かに一般的にこれまで教会で語られてきたことです。
しかし、さらに今この国の中に起こっていること、抱えている問題などを見るのであれば、この時代において、この国は終末の預言と重なる、つまりは終わりの時が迫っているということがわかるでしょう。
だからこそ、この時のしるしを見て、私達がどのように生きるかということを、今主は各々に問われているのではないかと思います。
日々の生活に追われ、明日も同じ日々が続く。必ずしもそうとは言えない時代の変革を私達は正確に捉え、今私は何をするべきか、神から授かっている自らの召しと照らし合わせて真剣に見つめ、歩みを定めていく必要があります。でないのであれば、この終わりの時代に私達は存在意義を失うばかりか、自らの生活、自らの満足、利益を優先するために、神に逆らい、主の裁きの御手が置かれることにすらなるでしょう。
「目をさましていなさい」
今主は私達に迫られています。主に目をさまさせていただき、主の御心を、共に真剣に仰ぎたいと思います。


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