愛を育む毎日

2015年05月01日 12:41

【ヨハネ21:7】
21:7 イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。

日々主と親しく交わることはとても大切なことです。それは絶えることのない愛の交わりの関係の中に生きることです。
そのことは同時に最初に主に救われた日、主にお会いした日に知った、初めの愛を忘れない(黙示録2:4)ということ、その愛を主との交わりの日々の中で大切に育んでいくということでもあります。
信仰生活はこの愛から離れたところには存在しません。「愛によって働く信仰(ガラテヤ5:6)」に基づかないのであれば、何をしても無味乾燥で、全てが苦しみでしかないでしょう。

【ガラテヤ13:1-3】
13:1 たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
13:2 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
13:3 たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

逆に言えば、私達がこの「愛によって働く信仰」によって日々を歩むのであれば、それは全てのことが主との愛の交わりとなります。それは実はとても大切なことなのです。

信仰生活はいつも決して順調と言える日ばかりではないかも知れません。
試練の中を通るときもあれば、その中で主は何を望まれこのような状況の中に私を置くのかと、主への信仰の葛藤をするときもあるでしょう。
私達の弱さが主に不信を抱かせたり、主から背を向けるときも、あるいは主を裏切り、あるいは主をのろい、「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。(エレミヤ17:9)」とはよく人の心を表した言葉で、何とも私達の主への愛は不誠実なもので、主への愛をささやきながら、次の瞬間には主を忘れるような者なのです。
今日の聖書の箇所はペテロのまさにそのようなときに迎えたある瞬間でした。
ペテロは主イエスが捕らえられ十字架に処刑をされるために、裁判にかけられている席で、主を三度否みます。
それは主イエスに預言された通りのことであり、鶏の鳴き声を聞いてその言葉を思いだし、主を裏切り主を見捨てた自らの姿に激しく泣いた(マタイ26:69-75)のです。
彼はこのとき自らの命惜しさに主をのろいさえしています。まさにこのときペテロは主イエスへの信仰すら捨てたと言えるでしょう。
ですから、主を裏切ったペテロは再び漁師に戻る如く、仲間の弟子達を連れて、ガリラヤ湖で漁をしていた(ヨハネ21:3-14)のです。
そんな中、十字架の死からよみがえられた主イエスが、初めにペテロ達に出会ったときの思い出と重なる姿でご自身の姿を現されます。
そのとき、「あれは主だ」と言う言葉を聞いて、まさに漁師に戻り裸になっていた自分から、急いで主と共に過ごした日々の時のように上着をまとって海にとびこんだのです。

そうです。ペテロを主の元に飛び込ませたのは、主と出会ったとき、その初めの愛を忘れていなかったためであり、また主に従い主と共に毎日過ごした主との愛の交わりの日々が、信仰を失い神から離れたペテロを瞬時に主の元に戻らせたのです。
主の愛ほど大きな愛はありません。
自らの命を捨て、罪にまみれた私を十字架に贖ってくださった大きな愛。
この方を愛し、またその大きな愛に包まれて過ごす日々を、その大きな喜びの日々を、どうして忘れることができましょうか。
その愛の日々だけが、たとえ私達が信仰生活の中でつまづき倒れることがあったとしても、私達を神の元へと立ち返らせるのです。
そこには初めに主が愛してくださったのと全く変わることなく、手を広げて私を招き、しかしその手には私のこの罪を釘づけて、その傷跡がはっきりと残っているのです。それこそが私への永遠に変わらない愛の傷跡であると私に力強く語り、この愛に戻れと、我が元に戻れと、語りかけるのです。
何と麗しいことでしょう。何気なく毎日主と共に歩む愛の交わりの日々は、このように力強く、弱く揺れやすくつまづきやすい私達を、永遠の愛へと導いてくれるのです。
だから、焦ることなく主への愛を育む日々を過ごしていきましょう。
たとえ今は小さい愛でも、やがて主に顔と顔を合わせてお会いする日、私達の愛をもって、心底主を喜ばせる者となるために。

【雅歌8:4,6,7】
8:4 エルサレムの娘たちよ、わたしはあなたがたに誓い、お願いする、愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。
 [中略]
8:6 愛は死のように強く、ねたみは墓のように残酷だからです。そのきらめきは火のきらめき、最もはげしい炎です。
8:7 愛は大水も消すことができない、洪水もおぼれさせることができない。もし人がその家の財産をことごとく与えて、愛に換えようとするならば、いたくいやしめられるでしょう。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【黙示録2:4,5】
2:4 しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。
2:5 そこで、あなたはどこから落ちたかを思い起し、悔い改めて初めのわざを行いなさい。もし、そうしないで悔い改めなければ、わたしはあなたのところにきて、あなたの燭台をその場所から取りのけよう。

【ガラテヤ5:6】
5:6 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。

【マタイ26:69-75】
26:69 ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。
26:70 するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。
26:71 そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。
26:72 そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。
26:73 しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。
26:74 彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。
26:75 ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。
※74節は新改訳では「のろいをかけて誓い始めた。」と訳されています。

【ヨハネ21:3-14】
21:3 シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった。
21:4 夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった。
21:5 イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか」。彼らは「ありません」と答えた。
21:6 すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」。彼らは網をおろすと、魚が多くとれたので、それを引き上げることができなかった。
21:7 イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに「あれは主だ」と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ。
21:8 しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、魚のはいっている網を引きながら帰って行った。陸からはあまり遠くない五十間ほどの所にいたからである。
21:9 彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった。
21:10 イエスは彼らに言われた、「今とった魚を少し持ってきなさい」。
21:11 シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。そんなに多かったが、網はさけないでいた。
21:12 イエスは彼らに言われた、「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。
21:13 イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。
21:14 イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。

【ルカ5:1-11】
5:1 さて、群衆が神の言を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔に立っておられたが、
5:2 そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。漁師たちは、舟からおりて網を洗っていた。
5:3 その一そうはシモンの舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。
5:4 話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。
5:5 シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。
5:6 そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。
5:7 そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るよう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった。
5:8 これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」。
5:9 彼も一緒にいた者たちもみな、取れた魚がおびただしいのに驚いたからである。
5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも、同様であった。すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」。
5:11 そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。