悔い改めの波

2014年11月25日 12:10

【ゼパニヤ1:14-18】
1:14 主の大いなる日は近い、近づいて、すみやかに来る。主の日の声は耳にいたい。そこに、勇士もいたく叫ぶ。
1:15 その日は怒りの日、なやみと苦しみの日、荒れ、また滅びる日、暗く、薄暗い日、雲と黒雲の日、
1:16 ラッパとときの声の日、堅固な町と高いやぐらを攻める日である。
1:17 わたしは人々になやみを下して、盲人のように歩かせる。彼らが主に対して罪を犯したからである。彼らの血はちりのように流され、彼らの肉は糞土のように捨てられる。
1:18 彼らの銀も金も、主の怒りの日には彼らを救うことができない。全地は主のねたみの火にのまれる。主は地に住む人々をたちまち滅ぼし尽される。

主が語られるリバイバルという言葉を私達は誤解してはなりません。
リバイバルは主が来られるということと密接に関係しています。
主ご自身が来られるからこそ、主はご自身の民がご自身から心が離れていることを深く悲しまれます。

【ルカ18:8】
18:8 しかし、人の子が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。

同時に主が私達に近づかれるということは罪のある者は、その聖なる方のあまりに聖であるために、生きていることができない。義である方の前に不義である者は裁かれ滅ぶ他はない(イザヤ6:1-5)のです。
だからこそ主は、人々が主に立ち返ることを望まれます。つまり、主が来られるということは、主に悔い改めて立ち返るということがなければ、ただ裁きと滅びの日となるということなのです。
だからこそ、主イエスが初臨のキリストとして来られる前、来たるべきメシヤが来られる前には、バプテスマのヨハネがその道備え(マタイ3:1-6)をするエリヤ(マラキ4:5,6、ルカ1:13-17)として、悔い改めを叫んだのです。
そして、彼が真っ先に叫んだのは神を知らない者達に対してではなく選びの民に対してであり、イスラエルに血筋を持つだけで選びの民となるのではなく、選びの民にふさわしい悔い改めの実を結ぶよう叫んだ(マタイ3:7-12)のです。
でなければ、選びの民であると思い込んで、しかし心は主から離れあるいは主に逆らっている者達を、主はまず全ての裁きに先立って裁かれる(1ペテロ4:17-19)のです。
リバイバル(信仰復興)という言葉に、多くのクリスチャンは、たくさんの人々が救われクリスチャンが増えるというイメージを先行させ、また主ご自身が来られる、その臨在の濃厚なる現れと、そこに注がれる大きな恵みを、求めがちです。
しかし、それはメシヤがイスラエルの国の復興のために来る(使徒行伝1:6)と、都合良く考え、自らと神との関係がどうであるのかということを全く見ていなかったこと、つまりバプテスマのヨハネがイスラエルの民に叫んだときと何ら変わりがないと言えるでしょう。
であるとするのであれば、選民イスラエルでさえ悔い改めの実を求められたのに、主イエスが自分のために十字架にかかられた、十字架の贖いを知る私達が、私達の心が主から離れ、信仰がなくなっていることを、主から問われないはずがないでしょう。

今日の御言葉は主が来られる日について語られています。それはイスラエルの民にも、ただの喜びの日ではなく、主にない者には裁きの日となるバプテスマのヨハネが語ったのと同じことが語られているのです。
だからこそ、そのとき私達に何が必要なのかをも続いて同様に語られている。

【ゼパニヤ2:1-3】
2:1 あなたがた、恥を知らぬ民よ、共につどい、集まれ。
2:2 すなわち、もみがらのように追いやられる前に、主の激しい怒りがまだあなたがたに臨まない前に、主の憤りの日がまだあなたがたに来ない前に。
2:3 すべて主の命令を行うこの地のへりくだる者よ、主を求めよ。正義を求めよ。謙遜を求めよ。そうすればあなたがたは主の怒りの日に、あるいは隠されることがあろう。

主は私達に幾度も語られてきました。
罪が満ちたこの国に神が来られる日は近いと。
そのとき、真っ先に裁かれるのはクリスチャンそして教会です。
主が来られるということは恵みと裁き、救いと滅びが同居しているのです。
それがリバイバルの中で行われていることです。
先行するのは神の家から始まる悔い改めの波なのです。

【ルカ24:46,47】
24:46 キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中からよみがえる。
24:47 そして、その名によって罪のゆるしを得させる悔改めが、エルサレムからはじまって、もろもろの国民に宣べ伝えられる。

あなたは主の来られる日をどのように迎えられますか?裁きですか?恵みですか?
それは今のあなたの心が主から離れているかどうか、主に背を向けているかどうか、自分のためにのみ生きていないかどうか、主のために生きているかどうか、に関わっています。
あなたの心は主の前にどうですか?

主の前に共に心から悔い改めの時を持ちましょう。
心の表面ではなく、自分の人生をそのまま主にささげるまでの真剣な心の底からの悔い改めこそ、あなたの中から始まる主のリバイバルです。
そしてあなたから始まる真剣な悔い改めの波が人々を神に立ち返らせ、全地を神の元に立ち返らせるのです。

共に主の前にひざをかがめましょう。

※今日の引用箇所です。ご参照下さい。

【イザヤ6:1-5】
6:1 ウジヤ王の死んだ年、わたしは主が高くあげられたみくらに座し、その衣のすそが神殿に満ちているのを見た。
6:2 その上にセラピムが立ち、おのおの六つの翼をもっていた。その二つをもって顔をおおい、二つをもって足をおおい、二つをもって飛びかけり、
6:3 互に呼びかわして言った。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主、その栄光は全地に満つ」。
6:4 その呼ばわっている者の声によって敷居の基が震い動き、神殿の中に煙が満ちた。
6:5 その時わたしは言った、「わざわいなるかな、わたしは滅びるばかりだ。わたしは汚れたくちびるの者で、汚れたくちびるの民の中に住む者であるのに、わたしの目が万軍の主なる王を見たのだから」。

【マタイ3:1-6】
3:1 そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、
3:2 「悔い改めよ、天国は近づいた」。
3:3 預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。
3:4 このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
3:5 すると、エルサレムとユダヤ全土とヨルダン附近一帯の人々が、ぞくぞくとヨハネのところに出てきて、
3:6 自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた。
3:7 ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。
3:8 だから、悔改めにふさわしい実を結べ。
3:9 自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。
3:10 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
3:11 わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
3:12 また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。

【マラキ4:5,6】
4:5 見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあなたがたにつかわす。
4:6 彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである」。

【ルカ1:13-17】
1:13 そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。
1:14 彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。
1:15 彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、
1:16 そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。
1:17 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。

【1ペテロ4:17-19】
4:17 さばきが神の家から始められる時がきた。それが、わたしたちからまず始められるとしたら、神の福音に従わない人々の行く末は、どんなであろうか。
4:18 また義人でさえ、かろうじて救われるのだとすれば、不信なる者や罪人は、どうなるであろうか。
4:19 だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。

【使徒行伝1:6-8】
1:6 さて、弟子たちが一緒に集まったとき、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。
1:7 彼らに言われた、「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない。
1:8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。