恵みの時救いの日を問われる時

2015年06月14日 19:50

聖書箇所: マタイ23:35,36

神は私達を神の宮とし、永遠の都として、決して揺るがされることなく動くことのないものとしてくださると語られました。
そして主の目と心を常にそこに置くと、私達の祈りに目を開き、耳を傾けてくださると約束くださっています。
それが主の教会です。
この主の宮のあるこの永遠の都こそ、国の中心であり、この宮でささげられる祈りこそ、その国を動かす中心であるのに、私達は何を主に求めてきたのでしょうか?
今この国が滅びると主が強く警告されるようになったことに際して、私達クリスチャンそして教会がこれまで何に目を向け心を傾け、主に何を願い求めてきたのかということを問われています。
私達は主と共にこの地を統べ治める者として、この国の中心に置かれているのに、私達教会が求めていたのは自己都合と自己満足のためのものであり、神の深い御旨を汲み取るような祈りではなかったのではないかということです。
神は長くこの国が滅びに向かっていると言うことを語り続けてきたのに、私達は自らの事のみに目を向けて、主の御旨を退けてきたのではないでしょうか。
主は今私達にその責任を問うと強く警告されています。
何よりこの国に立てられクリスチャンとして、この国を滅びに向かわせてしまった血の責任を、主の前に真っ先に私達が悔い改める必要があるのではないでしょうか?
私達が悔い改めリバイバルされなければ、この国がリバイバルし主に立ち返ることはないでしょう。
その時主の語られる滅びの警告は現実のものとなるのです。
主の語りかけを真剣に受け止めるか、否か、私達は今祝福とのろい、救いと裁きのちょうどターニングポイントに立っていると言うことができるでしょう。
今回は主のこの国対する滅びの警告と、またその警告をいかに真剣に私達が受け止め今後を生きていくかというポイントにおいて、主の語りかけに真剣に耳を傾けていきたいと思います。


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