御手の内に安らう

2016年01月24日 19:58

聖書箇所: 詩篇23篇

主がご自身の命を十字架にささげても、私達に与えたいと願ったのはまさに天の御国における交わりでした。
しかしその交わりはすでに私達の生活の中で始まっているのです。
毎日の生活において私達は礼拝者であり、決して日曜日だけ特別にそうなるわけではなく、24時間365日私達はこの神との永遠の交わりの中に生きている礼拝者なのです。
それは主が命をささげ、すべてを惜しまずに与えてくださるほどに愛し、いや今もその愛は変わりなく私達に注がれ続けているからこそ、私達自身も主のために生きざるを得ないという、神との愛の関係における、愛によって働く信仰に基づく生き方であり、私達自身の人生をその全ての時間を通して愛する主に最上のささげ物としてささげる生き方であり、それこそが本来のクリスチャンの生き方。それこそが最善の歩みであり最高の祝福を神から受ける生き方でもあるのです。
多くのクリスチャンはそのことを知らずに、世の生き方に影響を受け、多くの妥協と誘惑の中、主のためにではなく自らの人生のことばかりを考えて、神から離れて生きる道を探そうとしますが、実はそこに主が私達に与えようと思った真の恵みは存在しません。
まさに主が私達に与えようと望まれたのは主の御心の中心、他の何ものを持っては入ることをゆるされない、聖の極みである場所、至聖所における交わり、私達がキリストの血をのみ持って入ることをゆるされる、この最も聖なる場所における主との交わりであり、またそこに天の御国の交わりが存在しているのです。
主は私達にこの世がいかなることをしても私達に与えることのできない、真の平安を、主ご自身が私達に与えると約束くださいました。
それは決して持ち物によるのでもなく、私達の生きる環境にも左右されません。まるで緑の水際に生きるように、主という、ご自身の命を捨てても羊に命を得させ続けてくださる、真の羊飼いの元に生きる平安であり、それは死をも超越し、たとえ敵の前でも喜びに満たされ続ける、これ以上ない豊かで平安な生き方。
そして主は私達にそれを救われた時から変わることなく私達に得て欲しいと本当は与え続けてくださっているのです。
さらに、そこで真に主の元に安らぎを得る者こそが、今度は主がこの地に栄光の王として来られる時、最上の愛をささげて主をお迎えする永遠の都の礼拝者となることがゆるされるのです。

今回は主が本当に私達に与えたいと願われてる主との交わりについて、共に神が与えてくださる真の平安に全身全霊浸りながら、その御言葉に耳を傾けていきたいと思います。


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