御国の豊かさ

2015年01月22日 09:28

【マタイ4:8-10】
4:8 次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せて
4:9 言った、「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」。
4:10 するとイエスは彼に言われた、「サタンよ、退け。『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。

あまりにも多くのクリスチャンがサタンのこの偽りの言葉(マタイ4:9)に無防備です。
特にこの国は目に見える豊かさ「栄華(マタイ4:8)」を追い求め、主を退けた国です。
先の世界恐慌や敗戦により、貧しく何もなくなったこの地に、豊かさで満たすのは神の与える豊かさであった(日本にはその時期にリバイバルが起こっていました)のに、目に見える豊かさを欲し、主の与える満ち満ちた豊かさを退けたのです。
そのとき多くのクリスチャン達が教会を離れました。
よく、かつては教会に集い、クリスチャンでしたという方にお目にかかりますが、そのような方々が今なお信仰を保てているのかどうかは疑問です。
しかし、その豊かさに信仰を偽られたのは教会を離れたクリスチャンばかりではありません。
教会に連なるクリスチャンであっても、今なお、目に見える生活に、目に見える豊かさを求め、その心が地上のこと以外に興味がないのであれば、それはすでにこのサタンが見せる「栄華(マタイ4:8)」に心奪われているのです。

【ピリピ3:19-21】
3:19 彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。
3:20 しかし、わたしたちの国籍は天にある。そこから、救主、主イエス・キリストのこられるのを、わたしたちは待ち望んでいる。
3:21 彼は、万物をご自身に従わせうる力の働きによって、わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。

受け継ぐべき天の御国(エペソ1:13,14)、父の相続(ローマ8:14-17)、天に積まれた宝(マタイ6:19-21)、それらは永遠の豊かさであり、目に見え、消え去っていくもの(2コリント4:18)ではありません。

【1ヨハネ2:15-17】
2:15 世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
2:16 すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。
2:17 世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。

【ヤコブ4:4】
4:4 不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。

けれども、私達が「肉の欲、目の欲、持ち物の誇(1ヨハネ2:16)」に心奪われるのであれば、それは世を愛する者であり、その果ては神に敵する者となるのです。
確かに人は最初の過ちにおいて、「女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。(創世記3:6)」とあるように、その欲を満たし得る実を見て、食べ、その欲を満たしたのです。
しかし、サタンが人に聞かせたのは偽りの言葉(創世記3:4,5)であり、その言葉の通り、人は善悪を知る者となりましたが、彼は神と共に住まう永遠の場所である、エデンの園から出され、永遠に生きる者ではなくなりました。(創世記3:22-24)

同様に、サタンは目に見えるもの(栄華)を与えて、私達から永遠のものを奪うのです。
その奪われるのは信仰であり、永遠の命です。
なぜなら、それに心奪われ、手にしたときから、天の御国への希望はこの地の欲を満たす未来へと書き換えられ、永遠を忘れ、その豊かさから興味が失せるのです。
まるでエデンの園を自らの足で出るかのように。
この地の豊かさ無しに天の御国の豊かさが、何の意味があろうかと。
しかし、そのとき失ったものの大きさが如何に大きなものであったのかさえも、そのときとなってはわからないでしょう。

【ヘブル12:6,7】
12:16 また、一杯の食のために長子の権利を売ったエサウのように、不品行な俗悪な者にならないようにしなさい。
12:17 あなたがたの知っているように、彼はその後、祝福を受け継ごうと願ったけれども、捨てられてしまい、涙を流してそれを求めたが、悔改めの機会を得なかったのである。

神の祝福を得なかった者は自らの力でこの地を生きる者となり、自らの力を積み重ね、自らを誇って生きる他に道はありませんが、それこそが神に逆らい、神に敵する道に他なりません。(オバデヤ1:1-4)
何と愚かにも失ったものの大きなことか。
偽られてはなりません。神が私達に与える豊かさとはそのような地上の豊かさとは全く比較にならないものです。
それは人の想像をはるかに超えるものであり、しかし主に永遠の望みを置く者に確実に与えられる驚くべき恵みなのです。

【黙示録21:11,18-21】
21:11 その都の輝きは、高価な宝石のようであり、透明な碧玉のようであった。
 [中略]
21:18 城壁は碧玉で築かれ、都はすきとおったガラスのような純金で造られていた。
21:19 都の城壁の土台は、さまざまな宝石で飾られていた。第一の土台は碧玉、第二はサファイヤ、第三はめのう、第四は緑玉、
21:20 第五は縞めのう、第六は赤めのう、第七はかんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉石、第十はひすい、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
21:21 十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠で造られ、都の大通りは、すきとおったガラスのような純金であった。

金銀宝石は天の御国においては、アスファルトや煉瓦のような、御国を造る建材でしかありません。
確かに都は金銀宝石で光り輝いていますが、天の御国においてそれ自体に心惹かれ、礼賛する者などは居ません。
それは豊かさを現すものではなく、都の建材に過ぎないからです。

【黙示録22:3-5】
22:3 のろわるべきものは、もはや何ひとつない。神と小羊との御座は都の中にあり、その僕たちは彼を礼拝し、
22:4 御顔を仰ぎ見るのである。彼らの額には、御名がしるされている。
22:5 夜は、もはやない。あかりも太陽の光も、いらない。主なる神が彼らを照し、そして、彼らは世々限りなく支配する。

天の御国おいては私達は何かを持っているから豊かなのではありません。
私達自身が満ち満ちて豊かであり、私達自身が主の栄光の輝きで輝いているのです。
それは主イエス自身が全てのものを持っていました(コロサイ1:15-17)が、それによって豊かだったのではなく、その存在自体が満ち満ちて豊かである(ヨハネ1:14,16)のと同様です。
そして、今この地において私達はこの満ち満ちた豊かさに満ち溢れることが与えられているのです。

【エペソ】
1:22 そして、万物をキリストの足の下に従わせ、彼を万物の上にかしらとして教会に与えられた。
1:23 この教会はキリストのからだであって、すべてのものを、すべてのもののうちに満たしているかたが、満ちみちているものに、ほかならない。

私達が地上で生きる全ての必要はこの満ち満ちたキリストの中から全て与えられ、満たされます。
それはすでに主が十字架の上に全てをささげ、私達に全てを与えて下さった、主の愛に基づき与えられているものに他なりません。
それは世にあるあらゆるものよりも確実であり、堅実なものです。

【エペソ3:16-19】
3:16 どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、
3:17 また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、
3:18 すべての聖徒と共に、その広さ、長さ、高さ、深さを理解することができ、
3:19 また人知をはるかに越えたキリストの愛を知って、神に満ちているもののすべてをもって、あなたがたが満たされるように、と祈る。

しかし、私達はすでに私達の内に与えられている「キリストの無尽蔵の富(エペソ3:8)」を、全く受け取ること無しにこの地上を歩んでも、何も意味がありません。
この無尽蔵の富こそ、この地上において、天に宝を積ませて私達を永遠に豊かなる者と至らしめ、またこの地上においても、主の御心に沿う善き業の全てのことのために、天地を動かして全てを満たす豊かさなのです。

【2コリント9:8】
9:8 神はあなたがたにあらゆる恵みを豊かに与え、あなたがたを常にすべてのことに満ち足らせ、すべての良いわざに富ませる力のあるかたなのである。

しかしそれですら、この地において与えられるもの自体が、神の御国を継ぐものとして与えられているもののほんの一部分に過ぎず、添えて与えられる程度のものであるのです。

【マタイ6:30-33】
6:30 ああ、信仰の薄い者たちよ。
6:31 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
6:32 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
6:33 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

では私達が天において与えられているものとはどれほど豊かなものなのでしょうか。
その御国を想う尽きない渇きこそ、私達をこの地において真のキリストにある豊かさをこの地で、天の御国の前味(「神の国をつぐことの保証」エペソ1:14)として先行して受け取らせるものです。
そして、この地上にあるあらゆるものも、天においてキリストと共に神の内に隠されている私達の命を、脅かすに足るものではなく、如何なる時にも私達を天のキリストの御座のすぐ御側にまで引き寄せて、永遠の安息の中に憩わせるものです。
さらに、やがてキリストと共に栄光の内によみがえる希望を、私達に与えるものなのです。

【コロサイ3:1-4】
3:1 このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。
3:2 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。
3:3 あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
3:4 わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

それはこの地上を天の御国に生きるように生きることであり、そのうちにある豊かさがこの地上に溢れ出て、私達の全生活、全人生を満たして余りある豊かさなのす。
あなたはこのような揺るぎない豊かさを欲しいと思いませんか?
「キリストの無尽蔵の富(エペソ3:8)」をサタンの誘惑に失うことを愚かなことだと思いませんか?

だから、御国を求めましょう。
その真ん中に御座を据え、全てを治める神ご自身を求めましょう。
いついかなるときも、この方を求める者は失望に終わることはないのですから。

【ローマ5:1-5】
5:1 このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。
5:2 わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。
5:3 それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、
5:4 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。
5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【エペソ1:13,14】
1:13 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。
1:14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。

【ローマ8:14-17】
8:14 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。
8:15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
8:16 御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。
8:17 もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。

【マタイ6:19-21】
6:19 あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
6:20 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
6:21 あなたの宝のある所には、心もあるからである。

【2コリント4:18】
4:18 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

【創世記3:4-8】
3:4 へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。
3:5 それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
3:6 女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
3:7 すると、ふたりの目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。
3:8 彼らは、日の涼しい風の吹くころ、園の中に主なる神の歩まれる音を聞いた。そこで、人とその妻とは主なる神の顔を避けて、園の木の間に身を隠した。

【創世記3:22-24】
3:22 主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
3:23 そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。
3:24 神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

【オバデヤ1:1-4】
1:1 オバデヤの幻。主なる神はエドムについてこう言われる、われわれは主から出たおとずれを聞いた。ひとりの使者が諸国民のうちにつかわされて言う、「立てよ、われわれは立ってエドムと戦おう」。
1:2 見よ、わたしはあなたを国々のうちで小さい者とする。あなたはひどく卑しめられる。
1:3 岩のはざまにおり、高い所に住む者よ、あなたの心の高ぶりは、あなたを欺いた。あなたは心のうちに言う、「だれがわたしを地に引き下らせる事ができるか」。
1:4 たといあなたは、わしのように高くあがり、星の間に巣を設けても、わたしはそこからあなたを引きおろすと主は言われる。

【コロサイ1:15-17】
1:15 御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。
1:16 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
1:17 彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。

【ヨハネ1:14,16,17】
1:14 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。
 [中略]
1:16 わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。
1:17 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。

【エペソ3:8,9】
3:8 すなわち、聖徒たちのうちで最も小さい者であるわたしにこの恵みが与えられたが、それは、キリストの無尽蔵の富を異邦人に宣べ伝え、
3:9 更にまた、万物の造り主である神の中に世々隠されていた奥義にあずかる務がどんなものであるかを、明らかに示すためである。