国を任せられた者

2015年11月22日 18:53

聖書箇所: 創世記41章

私達クリスチャンは神の深い思いを親しく語られる者であり、その思いを受け取るのであれば、その国をも任せようと、あまりにも恐れ多いことを、むしろ私達の召しとして与えてくださるという特権に預かっています。
その驚くべき主の思いにひれ伏すと同時に、だからこそ今この国のクリスチャンが神の前にそのあり方を問われているということを知るべきではないでしょうか。
その国の神へのあり方は、その国のクリスチャンの有り様と密接に関わっています。
この国がまるでイザヤ書にあるツロとシドンに預言されたように神の目から見られているのであれば、酷似する大淫婦(黙示録17、18章)の姿を見て、私達クリスチャンがどのようにこれまでこの国で生きてきたのかということを自問する必要があるでしょう。
キリストの花嫁と大淫婦は、永遠の都エルサレムと大バビロンという都として、常に対照的に見ることができます。
つまりは信仰者の歩みは神にあって生きるか自分の思いによって生きるかにより、対照的に歩みを分かち、またその結論は正反対の者となる。
だからこそ、主は今の時代そしてこれから続く時代にいかなることが起こるのかということを私達に語り、その歩みに注意するよう再び三度語られるのです。
今回はこの国を任せられたクリスチャンとして、いかに神の思いを中心に生きるべきかと言うことについて、この国の行く先を見据えて、主の語られる御言葉に耳を傾けていきましょう。


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