器の目的

2014年06月29日 19:59

聖書箇所: 使徒23:11 

陶器師である主は、一つの目的をもって器である私達を造られました。つまり、どのようにその器を使うのか。各々に与えられている主の御心にあって、その器を満たされ、御心を成就し、そして主の栄光で満たされる。
だから、器は何の目的で造られたのかを知る必要があります。そしてその器にふさわしく、主の御心に沿って歩むのです。
その目的を神からの召しとか、召命と言います。
器は自らの目的を見失うと、何の用も足さない、何も意味のない存在となります。
神の召しから目を逸らし、目的を忘れて、自らが生きることに目を向ける。自らの目的。自らの満足。
その時、私達はむしろ満足や平安を得るのではなく、主の召しから目を逸らす以上、主からも目を逸らし、偽りと恐れに心覆われ、信仰を用いることのできない、神から離れたただの無力で惨めな人となります。
これが今回の審議にかけられた場所でのパウロの状態です。そして、彼は自らの力で自らを救おうとし、周りを見渡し、自らの知恵で助け出される方法を考えます。しかし、その結果、彼は自らを助け出すどころか、パウロ自身への殺害計画が立てられるという、とてつもない事態に陥っていくのです。
しかし、主はここでパウロに語られます。「しっかりせよ。」そして神の彼への召しが語られるのです。
恐らく彼はローマに行き福音を語ることを主との間に知っていたでしょう。そしてこの召しを再び彼は握りしめ、ローマへの道へと進んでいくのです。やがてこのことは成就し確かに彼はローマでカイザルの前で証しをし、福音を語り、そして世界中に福音が語られる礎となったのです。まさに時代を動かすほどの働き、これほど神の栄光が現されることを誰が予想できたでしょうか。
今主は、私達の生活や周りの環境に目を奪われ、恐れ、自らの目的を見失いつつある私達に、「しっかりせよ。」と語りかけ、再び自らの召しに耳を傾け、その召しをしっかり握りしめて主と共に歩むよう語りかけられています。
ここが時代のターニングポイントです。主の御声に真剣に耳を傾けて参りましょう。


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