受け継がれる信仰

2015年02月06日 11:23

【申命記4:7-9】
4:7 われわれの神、主は、われわれが呼び求める時、つねにわれわれに近くおられる。いずれの大いなる国民に、このように近くおる神があるであろうか。
4:8 また、いずれの大いなる国民に、きょう、わたしがあなたがたの前に立てるこのすべての律法のような正しい定めと、おきてとがあるであろうか。
4:9 ただあなたはみずから慎み、またあなた自身をよく守りなさい。そして目に見たことを忘れず、生きながらえている間、それらの事をあなたの心から離してはならない。またそれらのことを、あなたの子孫に知らせなければならない。

私達は主が成された全ての大いなる御業を何ひとつ忘れてはなりません。
私達が問題を抱えたとき、不安に襲われたとき、苦しかったとき、悲しみにくれたとき、傷ついたとき、貧しかったとき、暗闇の中にいたとき、孤独のとき、疲れ果てたとき、私達にはどうしようもないあらゆるとき、主を呼び求めれば主は必ずすぐ近くにいてくださいました。
私達には見えずとも主は私達の思いの全てを知り、最善の道を用意してくださいました。
全てに満ちたらせ、全てに勝利し、光の内を歩ませ、愛に命に溢れ、喜びに満たしてくださいました。
主は義をもって、正しくさばき、私達に平安を与えてくださいました。
いつ如何なるときも、私達が主をわからず、離れたり、背いたり、退けたりしたとしても、主はいつも私達の近くにおられ、ご自身の元に招いておられ、私のために十字架にかかられたその釘跡が残る愛の御手を私に伸べられました。
そのように私達を最も幸いである主の御許に戻そうとしてくださり、そして主に立ち返り悔い改めるとき、主はご自身の血潮に私達を洗い、主のものとして真っ白い衣を着せ、主の近く安息の内に入れてくださったのです。
その一つ一つの経験は皆異なりますが、各々が毎日毎日主の恵みの中に満ち足らせてくださったからこそ、私達は今こうして生きているのです。
主が一日も、一時も、一刻一秒もたゆまず私達を見て、私達を守り、満たしてくださったから、そのように愛し尽くしてくださったから、私達は今生きているのです。

【エレミヤ31:3(新改訳)】
31:3 永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。

どこに、それほどにまでに、天地万物を造られた神に愛される存在が居るでしょうか?
まして、それは私達が何か優れた者であったり、正しい者であったからではなく、むしろ私達には何の理由もなく、主が私達を一方的に愛して下さったから、私達は主の選びに入れられ、救われたのです。
そんな神の選びの民がこの地上の一体どこにいるでしょうか。

この救われたその日から、一日も変わることなく絶えず注がれ続ける愛を私達は何一つ忘れてはならないのです。
それを決して風化させてはならないのです。
それは私達の世代において消えるものではなく、信仰の継承と共に次の世代にも伝えられ、彼ら自身が神を信じ、自分自身の信仰によって神と直接交わり、神を知り、その大いなる御業を見て生きるようになるまで、受け継がれるべきものなのです。
それは、私達に主の御旨と一つとして逸れることなく歩むという幸いの生き方を伝えるため。

【ピリピ2:5(文語訳)】
2:5 汝(なんぢ)らキリスト・イエスの心(こころ)を心(こころ)とせよ。

主は私達に神の言葉という大それたものを与え、さらにはご自身が我が内に住まわって、直接ご自身の御旨を私達に教えてくださる。我が思いを主の思いと一つとしてくださったのです。
この主の思いこそ完全であり、最善、私達を幸いへと導くもの。そのような思い(御言葉)を神から与えられた民は一体どこにいるのでしょうか?

【1コリント2:16】
2:16 「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。

こうして、私達が主に愛され続けて生きた全ての日々が、主を証しし、伝えられ、受け継がれ、御言葉を守り、御言葉に生きる素晴らしさを教え、主の御霊に導かれて、主のものとして、主のために生きる人生を主がどれほどに喜ばれるかを、その信仰を継承していかなければならないのです。
そう、私達の背中を私達に続く者達は必ず見ているのです。信仰を背中で語ることが新しい世代に主を教えることとなるのです。
主の恵みは一世代で終わるものではありません。それは命と共受け継がれます。幾世代までも、そしてとこしえまでも。

だから、主の永遠の恵みに私達も今日答えていきましょう。
今日も私達の内に主のみこころがなりますように。