主の約束から揺るがない

2016年01月31日 20:00

聖書箇所: ヨエル2:12-29

主が私達に約束してくださったリバイバルのビジョンは決して軽いものではありません。
それは再臨の主をこの地に迎え、主と共にこの地を千年王国という形で共に治めるという、後の日に与えられている大いなる主の計画を、今のこの時代に、この国に、(部分的ながら)顕現するという大きな計画であり、信仰の復興から国の救いに至るまでの、主の熱心によってのみ成し遂げ得る、壮大な計画を主は語られています。
しかし、誰もがそれを目にするまで信じないというのであれば、主の計画を共にこの地で担う者はいないということになりますが、その主の御心を信じ、それを真剣に求め、そのために人生をささげる者が存在するのであれば、主はその者と共にその計画を現実のものとして現されるのです。
確かにソロモンの時代に隆盛を極めたイスラエルの姿は、それを目にした者には神の計画をにわかに信じることができたかも知れませんが、主がこの計画を約束し、その計画を共に担う者を求め、ご自身の壮大な計画を人に語り始められたのは何も影も形もない、人の目には何も見えないところからであり、主は何もまだ現実として現れていない土地に向かってそれを与えると約束し、そして勝ち取れと語り、まだ得ていない地をくじによりイスラエルの部族に分配したのです。
それがあるからこそ、その後に主の宮が建てられ、エルサレムの都が永遠の都の型として完成し、イスラエルの国にやがて来る千年王国の統治の型としての姿が、主の祝福と繁栄と共に現されたのです。
それがソロモンの時代のイスラエルの姿です。
だからこそ、私達は主の約束を見失ってはなりません。
少しばかり主と共にこの地で戦ったからとて、それで終わるものではなく、日々の生活のうちに、その生活に心奪われる内に、主の約束を忘れ、祝福を忘れて、主を侮る者となることがないように。
あるいは、まさにこの地を治めるために来られる王なる方を迎えることを、自らの都合で後回しにすることがないように。
むしろ、主が私達に与えられたこの国を救う計画は、この国がまさに滅びに向かう姿を私達に主が見せ警告してくださった時、主に悔い改め、主に救いを必死で求めた私達の思いにあわれみをかけてくださったものであり、その始まりを忘れて、約束を置き去りにして私達の歩みは存在しないのです。
世はクリスチャンでさえ、主を忘れ、自らの欲望を満たすことを栄光と考え、自らの思いに従って、好きに人々を導き、好きに生きて、形式だけの信仰をもって信仰とするような姿は、決して珍しい姿ではなくなりました。
しかし主は私達全てのクリスチャンをこの国の主の初子であると見なしています。
それは良いか悪いかではなく、全てが主にささげられたものであり、だからこそこの国が滅びに瀕したその時に、真っ先に破れ口に立って、主にとりなす者であり続ける必要があるのです。
そこにこそ、本来の私達の存在意義がある。
私達は主の約束があまりに大きいから現実のものとして受け取れずに尻込みするのでもなく、あるいはあまりに幾度もこの約束を語られるからと言って、自らの生活にのみ重要視して主の御心を侮ることなく、この主の約束にしっかりと立ち、そこに根ざして、私達の歩みを進めて行こうではありませんか。
今回は主が再びこの国に語られる厳しい警告に真摯に耳を傾けつつ、主の約束にもう一度しっかりと心を向ける時を持ちたいと思います。


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