主の火がこの地に降るために

2014年12月11日 12:14

【列王記上18:17-41】
18:17 アハブはエリヤを見たとき、彼に言った、「イスラエルを悩ます者よ、あなたはここにいるのですか」。
18:18 彼は答えた、「わたしがイスラエルを悩ますのではありません。あなたと、あなたの父の家が悩ましたのです。あなたがたが主の命令を捨て、バアルに従ったためです。
18:19 それで今、人をつかわしてイスラエルのすべての人およびバアルの預言者四百五十人、ならびにアシラの預言者四百人、イゼベルの食卓で食事する者たちをカルメル山に集めて、わたしの所にこさせなさい」。
18:20 そこでアハブはイスラエルのすべての人に人をつかわして、預言者たちをカルメル山に集めた。
18:21 そのときエリヤはすべての民に近づいて言った、「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい」。民はひと言も彼に答えなかった。
18:22 エリヤは民に言った、「わたしはただひとり残った主の預言者です。しかしバアルの預言者は四百五十人あります。
18:23 われわれに二頭の牛をください。そして一頭の牛を彼らに選ばせ、それを切り裂いて、たきぎの上に載せ、それに火をつけずにおかせなさい。わたしも一頭の牛を整え、それをたきぎの上に載せて火をつけずにおきましょう。
18:24 こうしてあなたがたはあなたがたの神の名を呼びなさい。わたしは主の名を呼びましょう。そして火をもって答える神を神としましょう」。民は皆答えて「それがよかろう」と言った。
18:25 そこでエリヤはバアルの預言者たちに言った、「あなたがたは大ぜいだから初めに一頭の牛を選んで、それを整え、あなたがたの神の名を呼びなさい。ただし火をつけてはなりません」。
18:26 彼らは与えられた牛を取って整え、朝から昼までバアルの名を呼んで「バアルよ、答えてください」と言った。しかしなんの声もなく、また答える者もなかったので、彼らは自分たちの造った祭壇のまわりに踊った。
18:27 昼になってエリヤは彼らをあざけって言った、「彼は神だから、大声をあげて呼びなさい。彼は考えにふけっているのか、よそへ行ったのか、旅に出たのか、または眠っていて起されなければならないのか」。
18:28 そこで彼らは大声に呼ばわり、彼らのならわしに従って、刀とやりで身を傷つけ、血をその身に流すに至った。
18:29 こうして昼が過ぎても彼らはなお叫び続けて、夕の供え物をささげる時にまで及んだ。しかしなんの声もなく、答える者もなく、また顧みる者もなかった。
18:30 その時エリヤはすべての民にむかって「わたしに近寄りなさい」と言ったので、民は皆彼に近寄った。彼はこわれている主の祭壇を繕った。
18:31 そしてエリヤは昔、主の言葉がヤコブに臨んで、「イスラエルをあなたの名とせよ」と言われたヤコブの子らの部族の数にしたがって十二の石を取り、
18:32 その石で主の名によって祭壇を築き、祭壇の周囲に種二セヤをいれるほどの大きさの、みぞを作った。
18:33 また、たきぎを並べ、牛を切り裂いてたきぎの上に載せて言った、「四つのかめに水を満たし、それを燔祭とたきぎの上に注げ」。
18:34 また言った、「それを二度せよ」。二度それをすると、また言った、「三度それをせよ」。三度それをした。
18:35 水は祭壇の周囲に流れた。またみぞにも水を満たした。
18:36 夕の供え物をささげる時になって、預言者エリヤは近寄って言った、「アブラハム、イサク、ヤコブの神、主よ、イスラエルでは、あなたが神であること、わたしがあなたのしもべであって、あなたの言葉に従ってこのすべての事を行ったことを、今日知らせてください。
18:37 主よ、わたしに答えてください、わたしに答えてください。主よ、この民にあなたが神であること、またあなたが彼らの心を翻されたのであることを知らせてください」。
18:38 そのとき主の火が下って燔祭と、たきぎと、石と、ちりとを焼きつくし、またみぞの水をなめつくした。
18:39 民は皆見て、ひれ伏して言った、「主が神である。主が神である」。
18:40 エリヤは彼らに言った、「バアルの預言者を捕えよ。そのひとりも逃がしてはならない」。そこで彼らを捕えたので、エリヤは彼らをキション川に連れくだって、そこで彼らを殺した。
18:41 エリヤはアハブに言った、「大雨の音がするから、上って行って、食い飲みしなさい」。

主の霊が雨のようにこの地に豊かに降り注ぎ、主の臨在の内に多くの人々が主にひざをかがめ、悔い改めて主の救いが波紋を広げるように広がり、信仰復興がなされる。
昭和の初期、また戦後の最も貧しかった時代に日本を覆ったこのリバイバルの御業も、この国がやがて豊かになり、主を頼らずとも生きられるようになると見られることはなくなり、ごく一部分でのそのような証しを除いて、もう何十年という時間が経過しました。
神よりも頼れるものがある。それがこの国が神に対して出した答えでした。それがこの国の現在の姿です。

今日の聖句の箇所はエリヤの時代、イスラエルが他の神々に仕えるようになり、雨が神によりとどめられ、地に降らなくなり(列王記16:29-17:1)、酷い飢饉がイスラエルを襲いました。
その姿の何と今のこの国の状態と酷似していることでしょう。
神よりも頼るものが各々にでき、思い思いに自分の良いと思うことを行うようになり、神の霊が臨むことが久しくとどめられ、神の祝福はとどめられて久しく時間が経過し、現実には問題ばかりが山積し未来が見えない暗闇の時代。

このような状態のイスラエルに神がエリヤを通して語ったのは、「あなたがたはいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアルが神ならば、それに従いなさい(列王記上18:21)」と、神に従うかそれとも神以外の他の神々に従うのかという問いでした。
そして生きて働く神がどちらなのか、「われわれに二頭の牛をください。そして一頭の牛を彼らに選ばせ、それを切り裂いて、たきぎの上に載せ、それに火をつけずにおかせなさい。わたしも一頭の牛を整え、それをたきぎの上に載せて火をつけずにおきましょう。こうしてあなたがたはあなたがたの神の名を呼びなさい。わたしは主の名を呼びましょう。そして火をもって答える神を神としましょう(列王記上18:23,24)」という形ではっきりとさせようとしました。
神の火が祭壇に降るためにエリヤが行ったことは「彼はこわれている主の祭壇を繕った(列王記上18:30)」ということなのです。
今この国の人々に、ここにこそ生ける神が居られると、主の臨在が炎のように燃え上がる祭壇となる、教会はどれほどあるのでしょうか。
いや、主はその火が降るためにまずこの祭壇を建て直すことを望まれています。
そこに主の霊が降るために。
その時、世の人々は何が彼らに未来を与え信ずべきものなのかを知るでしょう。
やがて、頼るべきものは神以外にないとわかり、神以外の頼るものが無意味なものとして、いやむしろ神から人の心を引き離す害を与えるもの(偶像)として取り除かれるとき、主の霊が雨の如くに全地に降り注ぐでしょう。
この国の各地で主の霊が注ぐとき、人々は神に立ち返り、この地からのろいが取り去られ祝福が回復していくことでしょう。

神以外にこの国を救うものはないということをまず教会が信じること。
この神以外に頼りとしていたものを教会が捨て、神のみに従い、神のものとして自らが全きささげ物としてささげられる生き方をする、そのようなクリスチャンが集う教会を建て直すこと。
その祭壇に真の礼拝(ローマ12:1)がささげられるとき、そこにこそ神の霊が火となって降り、神のリバイバルがそこから始められることでしょう。
ですから、まず私達から自らの信仰を見つめ直し、他に頼りとしているものがないか。まず私達が聖別されましょう。
そして、ただ主が来られることを望み、まず私達が主の御名を呼び求めましょう。
そこに主ご自身が臨まれ主の火が降るために。

【黙示録22:20】
22:20 これらのことをあかしするかたが仰せになる、「しかり、わたしはすぐに来る」。アァメン、主イエスよ、きたりませ。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【列王記16:29-17:1】
16:29 ユダの王アサの第三十八年にオムリの子アハブがイスラエルの王となった。オムリの子アハブはサマリヤで二十二年イスラエルを治めた。
16:30 オムリの子アハブは彼よりも先にいたすべての者にまさって、主の目の前に悪を行った。
16:31 彼はネバテの子ヤラベアムの罪を行うことを、軽い事とし、シドンびとの王エテバアルの娘イゼベルを妻にめとり、行ってバアルに仕え、これを拝んだ。
16:32 彼はサマリヤに建てたバアルの宮に、バアルのために祭壇を築いた。
16:33 アハブはまたアシラ像を造った。アハブは彼よりも先にいたイスラエルのすべての王にまさってイスラエルの神、主を怒らせることを行った。
16:34 彼の代にベテルびとヒエルはエリコを建てた。彼はその基をすえる時に長子アビラムを失い、その門を立てる時に末の子セグブを失った。主がヌンの子ヨシュアによって言われた言葉のとおりである。
17:1 ギレアデのテシベに住むテシベびとエリヤはアハブに言った、「わたしの仕えているイスラエルの神、主は生きておられます。わたしの言葉のないうちは、数年雨も露もないでしょう」。