主の愛を覚えていますか

2014年07月20日 19:18

聖書箇所: マラキ書1:1-5

「神様はあなたを愛しておられます。」
これは信仰者であれば、もう何度も聞いてきた言葉でしょう。
ある時は集会のメッセージの中で。またある時は兄弟姉妹を通して。
神様は、今日もあなたに「わたしはあなたを愛している。」と言われています。”神様が私を愛してくださっている” この事実に今あなたは心からの喜びと感動を覚えておられるでしょうか。

今日のテキストであるマラキ書は、ユダヤの民がバビロン捕囚から預言されていた通りに帰還をゆるされ、その喜びのうちに、神殿とエルサレムの城壁が再建され、人々の心も、再び民族としての再建を果たしていきます。しかし、再び主への熱心が薄れ、主に愛される喜びを忘れ、感謝も喜びもなく以前のような霊的倦怠状態に陥っていた、その時に、マラキを通して語られた主の言葉です。

「わたしはあなたがたを愛している。」「どのように、あなたが私たちを愛されたのですか。」マラキ書1章2節のこの言葉には、主の一方的な選びによって主の宝の民(申命記7:6-8)と呼ばれ、愛されていながら、自らに向けられる主のかけがえのない愛を忘れ、無感動になっているイスラエルの姿が描かれています。

今、あなたは、主に愛されているという事実に喜びを覚えておられるでしょうか?
私たちクリスチャンも、このイスラエルの民のように、ただ神の一方的な恵みと愛によって選ばれ、救いを与えられた者です。私たちには救いに与るにふさわしいものなど何もなかったのです。

初めて、私の罪の身代わりとなって十字架に命を捧げてくださった主の愛と赦しに触れた時の、あの救いを受け取った時の、喜び、平安、その感動と感謝を、今も、いえ、その時以上に覚えておられるでしょうか?
「イエス様はあなたを愛しています。」もしもこの言葉に特に今感動を覚えず、当たり前の何かのように思えてしまうなら、あなたの心はこのイスラエルの民のように、毎日の生活での必要や、世とうまくやっていくためのやりくりに心奪われ、または試練や苦しみの中で主への信頼が薄れ、主の愛に向かう心ごと覆われているのかもしれません。

もしもそのような状態にあるなら、今日もう一度、主の愛を受けた、その喜びを戻して頂きましょう。
ここには、主との深い交わりがあり、聖霊から溢れ流れる愛の満たしがあり、そしてその愛にある時にこそ私たちは力溢れる信仰の歩みを送れるのです。

日々主の愛を覚え、喜びと感謝に満ちた毎日をお祈りします。