主の愛が満ちるために

2016年02月21日 20:05

聖書箇所: 使徒21:7-14

神はまさに私達の内に勝利の主として立ち、私達が如何なる時にも、如何なる状況にも、どこにいても、何をしていても、勝利の主として、主にあって圧倒的な勝利者としての歩みを私達に与えてくださいます。
まさに主のものとしてこのことを受け入れ、主と共に歩む者に、そしてこの主の勝利のご計画の内に主と共に進もうと、勝ち取ろうと願う者に、主はご自身の勝利を現してくださいます。
今がその歩みの最中であり、主はそのために私達クリスチャンを聖別という形で分けられた。
ご自身にある者と、ご自身に逆らう者とに分けられ、天地創造の時と同様に、ここから主の御業を成そうと、新しい創造の御業を成そうと、まさにそのように私達にリバイバルについて語られています。
同時に主は私達が救われた罪人に過ぎないことを覚えておられ、私達のこの罪の故に十字架にかかられ、この罪の上に打ち立てられた十字架を、ご自身を隅の頭石とされて、その上に私達を連ね合わせて神の宮とするという、私達の想像をはるかに超えた溢れるほどの愛の上に教会を建て、救いのご計画を全地に成そうと望んでおられるのです。
だからこそ、私達がこの約束の新しい地、主のご計画がなった時には、一つの教会となり、喜びの内に、最上の礼拝を捧げる時が来ることを語られています。
そのために主は私達に今一つの大切なことを語られます。
それは主の十字架を始めの愛とし、そこから永遠に、圧倒的に、そして絶え間なく私達に注がれる神の愛の前に私達がどう答えるのかということです。
パウロはその伝道旅行の終盤、エルサレムに帰る計画を進めるに当たり、兄弟姉妹たちに、そこに待つのは捕らえられ迫害されるという人の目には決して望ましくないことの故に、預言と共に、エルサレムに行かないように忠告を受けました。
しかし、パウロの口から出た言葉は主への命をもささげるほどの愛と献身と主の計画に従う堅い決意でした。
主の愛を知る者はその愛のあまりにも麗しく大きくそこから離れること目を背けることなどできないことの故に、主を愛するあまり自らの命をもささげて主に仕え、主の十字架の御足の跡をたどります。
それはただ愛の故です。
そしてその愛を持つ者こそ、自らの思いによって主の計画を成そうとするのではなく(もしそうするのであれば全ての栄光は我がものと思うでしょう)、主への愛の故に全ての道を主にゆだねる、主の聖霊に導かれて歩む者となるでしょう。
そして、そこにこそ私達を主が全地に導き主の御言葉を全地に語らしめる、主の大いなる御心と導きを私達は見るのです。
そしてその思いのあまりに大きく完全で麗しいが故に、全ての栄光はただ主のものであると、主を全地が讃えることとなるのです。
だから主は私達にその愛を、ご自身が私達のためにささげられた十字架の打ち傷残る御手を差し伸べて、ご自身につき従うかと問われます。
もう一度主の愛の問いかけに、私達の今日までの歩みを照らし合わせながら省み、主への愛を、献身の思いを、主に告白し、これからの歩みを確かなものにしたいと思います。


メッセージダウンロード