主の御言葉に聞き従う

2014年12月02日 12:55

【出エジプト6:1】
6:1 主はモーセに言われた、「今、あなたは、わたしがパロに何をしようとしているかを見るであろう。

主が私達に用意されている計画は私達の思惑をはるかに超えて高いものです。
それは私達が目で見ていることをはるかに超えた、はるか高いところから見ておられるもの。
ただ自分の周辺の、さらに偏った視点でしか見ることのできない、現実と私達自身が思い込んでしまっていることとは全く別の真実。
時間を超え、地域を超え、あらゆる障害物を超え、また人の心の奥底までも、つまりは全てが主には見えているのであり、主の目に隠しおおせるものは存在しません。
その全てを知りうる方が全てを超えて建てられる計画は、ご自身が善であるからこそ、最善であるのです。
もちろん、私達を愛して止まない主の私達への計画はなおさらのことです。
ですが、これは主を信じる信仰によってのみ、信仰の目によってのみ見ることができるもの、人の目には目の前に起こることしか見ることができず、生来の人の性質はその目で見たものだけを信じることを常とするのです。
これが世の常識の世界。
ここで、主の語られることと、人の目で見た現実が正反対のように見えてきます。
さてここで私達は目で見ている現実と、主の御言葉とどちらを信じるべきでしょうか。どちらを基として行動するべきでしょうか。
今日の箇所は、神がモーセによってイスラエルの民をエジプトから助け出すという(出エジプト3:7-10)主の御言葉と、それを元にモーセがパロに語ったことが元でむしろイスラエルの民がさらなる苦しみに会うこととなったという現実(出エジプト5:15-21)とが正反対に現れた瞬間に神がモーセに語られた御言葉です。
このときイスラエルの民は神が語られた御言葉よりも現実を見て、神につぶやきました。
その民のつぶやきを聞いたモーセ達も、主に不信の言葉を吐く(出エジプト5:22,23)のです。
しかし、あわれみ深い神は、神のいかに大いなる方かをまだ知らない者にあわれみ深くあられ、今日の御言葉を語られました。
つまり、私達には神の計画の本当の大きさはわからないのです。それはのちになってわかることであり、今その全貌をわかるはずがないのです。
これが人の限界と無限の神のあわれみとが対面している場所であり、しかし神は人の限界を問うているのではなく、わからなくていいと語っておられるのです。
わからず、ただ主の御言葉を信じ主に従ってくることを望まれているのです。

【ヨハネ1:39】
1:39 イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。

いや、その計画の全てを知る必要は人にはないのです。
知らずとも主に従っていくのであればそこに主の計画の全てがあり、その全てが私達の目の前で成就するのを見ることができるのです。
ただそれだけなのです。主イエスの弟子達の全てがそのように主イエスの言葉に従い、主にただ従っていっただけで、救い主がこの地に成される全ての計画を目の当たりにし、またその計画自体に自分も参画するというあり得ない恵みにあずかれたように、私達にもただ主の御言葉に従い、ただ主に従って行くことのみが、主のご計画が成し遂げられることへの近道なのです。
神のご計画は私達の無意味な知恵や力や努力を必要としていません。神の御言葉を信じず対立することや、人の無知無力で神の計画を妨げる必要はないのです。
ただ主の御言葉があれば、それでいいのです。
それを私達が信じ、従えるかどうかだけなのです。

【ヘブル11:3】
11:3 信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。

誰があなたへのこの後の神の奇跡を知っているでしょうか?
モーセもこの後エジプトに行われる十の神の奇跡をこのときは知る由もなかったのです。
誰があなたへの神の愛がどれほどに大きいかを知っているでしょうか。
イスラエルの民のこの後の歩みがどの国民にも与えられないような神の愛を一身に受け、その御腕に抱かれるように主の約束の地にまで導かれたのを、このときは知る由もなかったのです。
ただこのとき彼らにあったのは、神の御言葉だけだったのです。

ですから、うかがいます。
あなたは主の御言葉と、自分の目の前に広がる現実と、どちらを信じますか?どちらに従いますか?

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照下さい。

【出エジプト3:7-10】
3:7 主はまた言われた、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の悩みを、つぶさに見、また追い使う者のゆえに彼らの叫ぶのを聞いた。わたしは彼らの苦しみを知っている。
3:8 わたしは下って、彼らをエジプトびとの手から救い出し、これをかの地から導き上って、良い広い地、乳と蜜の流れる地、すなわちカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ペリジびと、ヒビびと、エブスびとのおる所に至らせようとしている。
3:9 いまイスラエルの人々の叫びがわたしに届いた。わたしはまたエジプトびとが彼らをしえたげる、そのしえたげを見た。
3:10 さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」。

【出エジプト5:15-19】
5:15 そこで、イスラエルの人々のかしらたちはパロのところに行き、叫んで言った、「あなたはなぜ、しもべどもにこんなことをなさるのですか。
5:16 しもべどもは、わらを与えられず、しかも彼らはわたしたちに、『れんがは作れ』と言うのです。その上、しもべどもは打たれています。罪はあなたの民にあるのです」。
5:17 パロは言った、「あなたがたは、なまけ者だ、なまけ者だ。それだから、『行って、主に犠牲をささげさせよ』と言うのだ。
5:18 さあ、行って働きなさい。わらは与えないが、なおあなたがたは定めた数のれんがを納めなければならない」。
5:19 イスラエルの人々のかしらたちは、「れんがの日ごとの分を減らしてはならない」と言われたので、悪い事態になったことを知った。
5:20 彼らがパロを離れて出てきた時、彼らに会おうとして立っていたモーセとアロンに会ったので、
5:21 彼らに言った、「主があなたがたをごらんになって、さばかれますように。あなたがたは、わたしたちをパロとその家来たちにきらわせ、つるぎを彼らの手に渡して、殺させようとしておられるのです」。

【出エジプト5:22,23】
5:22 モーセは主のもとに帰って言った、「主よ、あなたは、なぜこの民をひどい目にあわされるのですか。なんのためにわたしをつかわされたのですか。
5:23 わたしがパロのもとに行って、あなたの名によって語ってからこのかた、彼はこの民をひどい目にあわせるばかりです。また、あなたは、すこしもあなたの民を救おうとなさいません」。

【出エジプト6:1-8】
6:1 主はモーセに言われた、「今、あなたは、わたしがパロに何をしようとしているかを見るであろう。すなわちパロは強い手にしいられて、彼らを去らせるであろう。否、彼は強い手にしいられて、彼らを国から追い出すであろう」。
6:2 神はモーセに言われた、「わたしは主である。
6:3 わたしはアブラハム、イサク、ヤコブには全能の神として現れたが、主という名では、自分を彼らに知らせなかった。
6:4 わたしはまたカナンの地、すなわち彼らが寄留したその寄留の地を、彼らに与えるという契約を彼らと立てた。
6:5 わたしはまた、エジプトびとが奴隷としているイスラエルの人々のうめきを聞いて、わたしの契約を思い出した。
6:6 それゆえ、イスラエルの人々に言いなさい、『わたしは主である。わたしはあなたがたをエジプトびとの労役の下から導き出し、奴隷の務から救い、また伸べた腕と大いなるさばきをもって、あなたがたをあがなうであろう。
6:7 わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。わたしがエジプトびとの労役の下からあなたがたを導き出すあなたがたの神、主であることを、あなたがたは知るであろう。
6:8 わたしはアブラハム、イサク、ヤコブに与えると手を挙げて誓ったその地にあなたがたをはいらせ、それを所有として、与えるであろう。わたしは主である』と」。