主の御言葉から離れることなく

2014年12月16日 12:16

【ヨハネ6:60-69】
6:60 弟子たちのうちの多くの者は、これを聞いて言った、「これは、ひどい言葉だ。だれがそんなことを聞いておられようか」。
6:61 しかしイエスは、弟子たちがそのことでつぶやいているのを見破って、彼らに言われた、「このことがあなたがたのつまずきになるのか。
6:62 それでは、もし人の子が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。
6:63 人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。
6:64 しかし、あなたがたの中には信じない者がいる」。イエスは、初めから、だれが信じないか、また、だれが彼を裏切るかを知っておられたのである。
6:65 そしてイエスは言われた、「それだから、父が与えて下さった者でなければ、わたしに来ることはできないと、言ったのである」。
6:66 それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。
6:67 そこでイエスは十二弟子に言われた、「あなたがたも去ろうとするのか」。
6:68 シモン・ペテロが答えた、「主よ、わたしたちは、だれのところに行きましょう。永遠の命の言をもっているのはあなたです。
6:69 わたしたちは、あなたが神の聖者であることを信じ、また知っています」。

主が私達に直接語られる御言葉を知性で受け止めようとするのであれば、理解することは決してできないでしょう。
いや、理解できないどころか、主につまづきさえするでしょう。
多くの主に出会った者の内、頭で神を理解しようとした律法学者達がそうであったように。
しかし問題は「それ以来、多くの弟子たちは去っていって、もはやイエスと行動を共にしなかった。(ヨハネ6:66)」とあるように、主を求め主に付き従い、主の間近で主に触れ続け、また主の言葉を直接に聞き続けたはずの、多くの弟子達でさえそうであったということなのです。
それを分けたのは「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。(ヨハネ6:63)」と主が語られているように、主の語られる言葉が霊であるという事実です。
そしてこの霊の言葉は霊によってでしか受け止めることはできません。神によらなければ(マタイ16:17)、人の力では決して理解ができないのです。

【1コリント2:8-16】
2:8 この世の支配者たちのうちで、この知恵を知っていた者は、ひとりもいなかった。もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけはしなかったであろう。
2:9 しかし、聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。
2:10 そして、それを神は、御霊によってわたしたちに啓示して下さったのである。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。
2:11 いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
2:12 ところが、わたしたちが受けたのは、この世の霊ではなく、神からの霊である。それによって、神から賜わった恵みを悟るためである。
2:13 この賜物について語るにも、わたしたちは人間の知恵が教える言葉を用いないで、御霊の教える言葉を用い、霊によって霊のことを解釈するのである。
2:14 生れながらの人は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
2:15 しかし、霊の人は、すべてのものを判断するが、自分自身はだれからも判断されることはない。
2:16 「だれが主の思いを知って、彼を教えることができようか」。しかし、わたしたちはキリストの思いを持っている。

多くの兄弟姉妹がこの神の言葉を人の力で何とか理解しようと努力し、またその人々が理解した神の言葉をもって、信仰を立て上げようとしています。
しかしその言葉には命がない(マタイ6:63)のです。

【マタイ15:7-9】
15:7 偽善者たちよ、イザヤがあなたがたについて、こういう適切な預言をしている、
15:8 『この民は、口さきではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。
15:9 人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。

命のない信仰を重ね、常識としてあるいは習慣として語られる、多くの、信仰者としての、義務を果たすように信仰生活を送っても、いつまでも主の本当の心を知ることはなく、自分の心は神から離れるばかりです。
それはどれほど主の近くに居ても、主から離れていった弟子達と何の変わりもありません。
もしも主がご自身の御心の最も深いところ(マタイ6:53-58)を語られ、それが人の常識としての信仰をはるかに超えるようなことであったならば、あなたは本当にそこから離れていかないでしょうか。
自分が常識とする信仰に固執して、神から離れていかないでしょうか。
しかし、主が私達に与えたいと思っておられることは、いずれもそのようなものばかり(1コリント3:1,2、ヘブル5:11-6:3、エペソ1:17-19)なのです。

【ヤコブ1:5-8】
1:5 あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
1:6 ただ、疑わないで、信仰をもって願い求めなさい。疑う人は、風の吹くままに揺れ動く海の波に似ている。
1:7 そういう人は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。
1:8 そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。

ですから、この霊の言葉を知るために
、どうしてまだ自分の知性を、人の力を求める必要があるでしょうか。
まず私達は疑うことなく主を信じ、主からその知恵をいただくために、恥じることなく主の御前に出て、幼子のように主に祈り願おうではありませんか。
そして、静かに共に聖書を開き、主の語られる御言葉に耳を傾けるように、聖書を読んでまいりましょう。
それこそが、どれほど優れた信仰書や解釈書よりも勝って、はるかにあなたに必要な真理を主ご自身が直接解き明かし語ってくださることとなるでしょう。
主はそのような祈りに、願いに必ず答えてくださいます。

【マタイ7:7-11】
7:7 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
7:8 すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
7:9 あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
7:10 魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
7:11 このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【マタイ16:17】
16:17 あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。

【ヨハネ6:53-59】
6:53 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。
6:54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。
6:55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。
6:56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。
6:57 生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。
6:58 天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。
6:59 これらのことは、イエスがカペナウムの会堂で教えておられたときに言われたものである。

【1コリント3:1,2】
3:1 兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。
3:2 あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。

【ヘブル5:11-6:3】
5:11 このことについては、言いたいことがたくさんあるが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、それを説き明かすことはむずかしい。
5:12 あなたがたは、久しい以前からすでに教師となっているはずなのに、もう一度神の言の初歩を、人から手ほどきしてもらわねばならない始末である。あなたがたは堅い食物ではなく、乳を必要としている。
5:13 すべて乳を飲んでいる者は、幼な子なのだから、義の言葉を味わうことができない。
5:14 しかし、堅い食物は、善悪を見わける感覚を実際に働かせて訓練された成人のとるべきものである。
6:1 そういうわけだから、わたしたちは、キリストの教の初歩をあとにして、完成を目ざして進もうではないか。今さら、死んだ行いの悔改めと神への信仰、
6:2 洗いごとについての教と按手、死人の復活と永遠のさばき、などの基本の教をくりかえし学ぶことをやめようではないか。
6:3 神の許しを得て、そうすることにしよう。

【エペソ1:17-19】
1:17 どうか、わたしたちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、知恵と啓示との霊をあなたがたに賜わって神を認めさせ、
1:18 あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、
1:19 また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。