主の十字架は勝利に立つ

2016年01月17日 19:55

聖書箇所: 1ヨハネ4:7-12

主は十字架の上で勝利を得ました。
私達を十字架に共につけた、その事実は、私達の内に、主が完全なる勝利を得られたということなのです。
これはあらゆる面において、私達自身にも、そして全世界に対しても、主は私達の内に勝利を得てくださったのです。
そこにあるのは私達の自分の義ではなく、神の義であり、自らの義により私達を裁く神の姿ではなく、ご自身の命を差し出し、ご自身が贖いの供え物となって、つまりは主の限りない愛によって、得られた勝利です。
だからこそ、私達のこの世での生活における全ての戦いは、この絶対的な愛の中に、あらゆる面に於いて完全なる主の勝利が現わされるという結論に行き着くのです。
つまりは、私達はあらゆる時にこの十字架から目を離さず生き、そのことによって主の愛が、主の義が、主の勝利が、この身に現されるために生きています。
主だけを見て、主だけを愛し、主のために生きる者は、このようにいつ如何なる時も主にあって勝利を現す生き方をします。
そして、その勝利は私達の内だけに留まるものではありません。
この神の愛と義を知る者から、主の勝利が全地に溢れていくのです。
この十字架の愛と義を知る者しか、この圧倒的な死をも覆してよみがえり勝利した主の勝利を、真に証しすることはできないのです。
この方の愛を知り、これほどに愛してくださった方を愛さざるを得ない、あるいはこの愛する方が愛する全て人々を愛さざるを得ない。そのために主が私達を愛してくださったように、たとえ私達を傷つけ憎み迫害する者達をも愛し、十字架の愛と義を現す者となる。
教会はそのように十字架により隅の頭石となられた方に、この愛にあって一つに組み合わされた者達であり、神の愛はこの愛の中に現れ、全うします。
そして、世から人々を取り返し、救うというサタンとの霊的支配の戦いは、この十字架に愛と義により、圧倒的な勝利の現れる内に、全地に押し広げて行かれるのです。
仮に私達が如何に小さく弱い者であったとしても、それは主の十字架の勝利を現す、私達の栄光を現すのではなく、主の栄光のみを現すのに十分な空の器となるのです。
罪深く、汚れの中に必死でもがき、傷つき、主しか救うことのできなかった者であるからこそ、この愛を義を勝利を全地に伝えることができるのです。
今回は主の十字架の勝利が如何にしてその愛の内に、教会を通して全地を覆うのかということに関して、主の御言葉に耳を傾けていきたいと思います。


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