主に聞く

2015年03月27日 17:57

【エレミヤ33:1-3】
33:1 エレミヤがなお監視の庭に閉じ込められている時、主の言葉はふたたび彼に臨んだ、
33:2 「地を造られた主、それを形造って堅く立たせられた主、その名を主と名のっておられる者がこう仰せられる、
33:3 わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。

私達の人生において、私達がどのような状況に置かれたとしても、そのこと自体に目を奪われ、心奪われてしまったら、主の思い(御心)を聞くことはできません。
主の御声を聞くべきは順境の時に於いてばかりではなく、逆境の時はなおさらに聞くべきです。
なぜなら、全てのことにおいて、主は私達のはるかに想像を超え、考え、思いを超えて、ご計画を持っておられるからです。
自分の目に理解できない、自分の力を越える逆境のとき、それをもって主が私達を滅ぼそうとあるいは死に渡そうとしていると考える必要はありません。(出エジプト14:11,12)
その考えこそ、人の目でしか見えない狭い低い視野で考え出した偽りの結論でしかなく、その偽りに心奪われるのであれば、主への信仰は死の恐怖に覆われ、信仰を働かせてその先にある主の計画に進むことはできないのです。
ですから、そのような時こそ、主が何をご計画されているのかを主に聞くべきなのです。
そしてそこにこそ、目の前にある現状が、主の計画の内にあって、いかなるあわれみによってそれが成されているのかを知るのです。
今日の箇所において、この後主が語られたのは、イスラエルに対する厳しい裁きと、その後に訪れる主イエスキリストによる真の救いの計画(エレミヤ33:4-26)です。
それはこのエレミヤの、人には最低に思える監禁の状況からは想像もつかない、主の大いなるあわれみの日であり、栄光がイスラエルの上に輝く日なのです。
つまり、エレミヤが見たのは、主イエスキリストがこの地に来られ十字架による罪の贖いの御業を完成されることと同時に、終わりの日にイスラエルが主に立ち返り、そこに主イエスが再び来臨される日(再臨)のことを、その栄光の日について語られたのです。
それはその苦境の中にいるエレミヤにとって、主の御心を一身に求める者には最高の慰めとなる言葉であり、またその栄光を見て、永遠の御国の喜びの中に入れられ、苦しみを忘れ、悲しみは消え去った(黙示録21:3,4)ことでしょう。
それは信仰によって始めて見ることのゆるされる永遠の安息の中に入れられること(ヘブル11:13-16)なのです。
そして、ここにエレミヤの自身の生涯がこのような主の大いなるご計画の内にあり、だから今現在の苦境でさえ、主にある確かな歩みであることを知るのです。
確かにこの監禁状態はイスラエル(南ユダ王国)全土がバビロンとの戦いで飢饉に陥る中でも食料は王により与え続けられ(エレミヤ37:21)、主からの預言を、主に定められたその時まで死ぬことなく(使徒行伝27:21-26)、語り続けられたのです。
驚くべき主のご計画。
だから主はいつでも私達に全幅の信頼をもって、主に聞くようにと語られるのです。自分の小さな了見、知識、経験、力に頼り、好き勝手なことを叫び祈り続けるのではなく、主に聞け、主を呼び求めよと。
天地万物を造られた主ご自身が「わたしはあなたに答える」と言って下さるのです。最高のあわれみをもって。

【エレミヤ33:2,3】
33:2 「地を造られた主、それを形造って堅く立たせられた主、その名を主と名のっておられる者がこう仰せられる、
33:3 わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【出エジプト14:8-18】
14:8 主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、彼はイスラエルの人々のあとを追った。イスラエルの人々は意気揚々と出たのである。
14:9 エジプトびとは彼らのあとを追い、パロのすべての馬と戦車およびその騎兵と軍勢とは、バアルゼポンの前にあるピハヒロテのあたりで、海のかたわらに宿営している彼らに追いついた。
14:10 パロが近寄った時、イスラエルの人々は目を上げてエジプトびとが彼らのあとに進んできているのを見て、非常に恐れた。そしてイスラエルの人々は主にむかって叫び、
14:11 かつモーセに言った、「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか。
14:12 わたしたちがエジプトであなたに告げて、『わたしたちを捨てておいて、エジプトびとに仕えさせてください』と言ったのは、このことではありませんか。荒野で死ぬよりもエジプトびとに仕える方が、わたしたちにはよかったのです」。
14:13 モーセは民に言った、「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。
14:14 主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。
14:15 主はモーセに言われた、「あなたは、なぜわたしにむかって叫ぶのか。イスラエルの人々に語って彼らを進み行かせなさい。
14:16 あなたはつえを上げ、手を海の上にさし伸べてそれを分け、イスラエルの人々に海の中のかわいた地を行かせなさい。
14:17 わたしがエジプトびとの心をかたくなにするから、彼らはそのあとを追ってはいるであろう。こうしてわたしはパロとそのすべての軍勢および戦車と騎兵とを打ち破って誉を得よう。
14:18 わたしがパロとその戦車とその騎兵とを打ち破って誉を得るとき、エジプトびとはわたしが主であることを知るであろう」。

【黙示録21:3,4】
21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
21:4 人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

【ヘブル11:13-16】
11:13 これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。
11:14 そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。
11:15 もしその出てきた所のことを考えていたなら、帰る機会はあったであろう。
11:16 しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。

【エレミヤ37:21】
37:21 そこでゼデキヤ王は命を下し、エレミヤを監視の庭に入れさせ、かつ、パンを造る者の町から毎日パン一個を彼に与えさせた。これは町にパンがなくなるまで続いた。こうしてエレミヤは監視の庭にいた。

【使徒行伝27:21-26】
27:21 みんなの者は、長いあいだ食事もしないでいたが、その時、パウロが彼らの中に立って言った、「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった。
27:22 だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。
27:23 昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、
27:24 『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。
27:25 だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神かけて信じている。
27:26 われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない」。

【エレミヤ33:4-26】
33:4 イスラエルの神、主は塁と、つるぎとを防ぐために破壊されたこの町の家と、ユダの王の家についてこう言われる、
33:5 カルデヤびとは来て戦い、わたしが怒りと憤りをもって殺す人々の死体を、それに満たす。わたしは人々のもろもろの悪のために、この町にわたしの顔をおおい隠した。
33:6 見よ、わたしは健康と、いやしとを、ここにもたらして人々をいやし、豊かな繁栄と安全とを彼らに示す。
33:7 わたしはユダとイスラエルを再び栄えさせ、彼らを建てて、もとのようにする。
33:8 わたしは彼らがわたしに向かって犯した罪のすべてのとがを清め、彼らがわたしに向かって犯した罪と反逆のすべてのとがをゆるす。
33:9 この町は地のもろもろの民の前に、わたしのために喜びの名となり、誉となり、栄えとなる。彼らはわたしがわたしの民に施すもろもろの恵みのことを聞く。そして、わたしがこの町に施すもろもろの恵みと、もろもろの繁栄のために恐れて身をふるわす。
33:10 主はこう言われる、あなたがたが、『それは荒れて、人もおらず獣もいない』というこの所、すなわち、荒れて、人もおらず住む者もなく、獣もいないユダの町とエルサレムのちまたに、
33:11 再び喜びの声、楽しみの声、花婿の声、花嫁の声、および『万軍の主に感謝せよ、主は恵みふかく、そのいつくしみは、いつまでも絶えることがない』といって、感謝の供え物を主の宮に携えてくる者の声が聞える。それは、わたしがこの地を再び栄えさせて初めのようにするからであると主は言われる。
33:12 万軍の主はこう言われる、荒れて、人もおらず獣もいないこの所と、そのすべての町々に再びその群れを伏させる牧者のすまいがあるようになる。
33:13 山地の町々と、平地の町々と、ネゲブの町々と、ベニヤミンの地、エルサレムの周囲と、ユダの町々で、群れは再びそれを数える者の手の下を通りすぎると主は言われる。
33:14 主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家に約束したことをなし遂げる日が来る。
33:15 その日、その時になるならば、わたしはダビデのために一つの正しい枝を生じさせよう。彼は公平と正義を地に行う。
33:16 その日、ユダは救を得、エルサレムは安らかにおる。その名は『主はわれわれの正義』ととなえられる。
33:17 主はこう仰せられる、イスラエルの家の位に座する人がダビデの子孫のうちに欠けることはない。
33:18 またわたしの前に燔祭をささげ、素祭を焼き、つねに犠牲をささげる人が、レビびとである祭司のうちに絶えることはない」。
33:19 主の言葉はエレミヤに臨んだ、
33:20 「主はこう仰せられる、もしあなたがたが、昼と結んだわたしの契約を破り、また夜と結んだわたしの契約を破り、昼と夜が定められた時に来ないようにすることができるならば、
33:21 しもべダビデとわたしが結んだ契約もまた破れ、彼はその位に座して王となる子を与えられない。またわたしがわたしに仕えるレビびとである祭司に立てた契約も破れる。
33:22 天の星は数えることができず、浜の砂は量ることができない。そのようにわたしは、しもべダビデの子孫と、わたしに仕えるレビびとである祭司の数を増そう」。
33:23 主の言葉はエレミヤに臨んだ、
33:24 「あなたはこの民が、『主は自ら選んだ二つのやからを捨てた』といっているのを聞かないか。彼らはこのようにわたしの民を侮って、これを国とみなさないのである。
33:25 主はこう言われる、もしわたしが昼と夜とに契約を立てず、また天地のおきてを定めなかったのであれば、
33:26 わたしは、ヤコブとわたしのしもべダビデとの子孫を捨てて、再び彼の子孫のうちからアブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選ばない。わたしは彼らを再び栄えさせ、彼らにあわれみをたれよう」。