リバイバルに命をささげる者

2014年12月12日 12:07

【マラキ3:1-5】
3:1 「見よ、わたしはわが使者をつかわす。彼はわたしの前に道を備える。またあなたがたが求める所の主は、たちまちその宮に来る。見よ、あなたがたの喜ぶ契約の使者が来ると、万軍の主が言われる。
3:2 その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。彼は金をふきわける者の火のようであり、布さらしの灰汁のようである。
3:3 彼は銀をふきわけて清める者のように座して、レビの子孫を清め、金銀のように彼らを清める。そして彼らは義をもって、ささげ物を主にささげる。
3:4 その時ユダとエルサレムとのささげ物は、昔の日のように、また先の年のように主に喜ばれる。
3:5 そしてわたしはあなたがたに近づいて、さばきをなし、占い者、姦淫を行う者、偽りの誓いをなす者にむかい、雇人の賃銀をかすめ、やもめと、みなしごとをしえたげ、寄留の他国人を押しのけ、わたしを恐れない者どもにむかって、すみやかにあかしを立てると、万軍の主は言われる。

主がこの地に来られるとき、主はその前備えとしての人々を立てられます。
それは主が実際に来られたなら、裁きと恵みがはっきりとこの地に現されてしまうからです。
裁きは救いと一体となり、主に近づく者は恵みを受け、主を退け逆らう者、主以外に頼りとするもの(偶像)を持ち続ける者は必ず主と敵対する、そのような者を主はその御手を持って裁かれるのです。
そこで主はご自身が近づかれまさにこの地に来ようとしておられる時に、民々の心が主に向けられるよう、悔い改めて、心から主のものとなり、主に従い、主に仕えて生きる者となるよう、前備えとなる者をこの地に立てられるのです。
今私達は主の降誕を待ち望むアドベントの時期を迎えていますが、最初に主がこの地に来られ、主が公にご自身を現されて宣教を始められる、その時には前備えとして、エリアの霊と力により(ルカ1:13-17)バプテスマのヨハネが、イザヤの預言をもって立てられました。

【マタイ3:1-3】
3:1 そのころ、バプテスマのヨハネが現れ、ユダヤの荒野で教を宣べて言った、
3:2 「悔い改めよ、天国は近づいた」。
3:3 預言者イザヤによって、「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と言われたのは、この人のことである。

そして、そこで主の民を聖別し、心が主から離れた民を主の元に、悔い改めの水のバプテスマをもって導いたのです。
同時に、後に来る方こそ聖霊と火によってバプテスマを授ける救い主であることを語り、自分が主の来られるまでの前備えに過ぎないことを語った(マタイ3:7-12)のです。

そして主は再臨という形でこの地に再び来られますが、その時には二人の預言者が宣教を行い、バプテスマのヨハネのように再臨の主が来られる前備えを行います。(黙示録11:3-13)

今幾度も主がこの地に、この国に、来られると私達に語りかけ、リバイバルについて主は語られています。
しかし、それは前備えとなる者達を主が求めておられるということなのです。
そして、初臨の時も再臨の時も、その前備えの働きをした者は殉教という結果を迎えていますが、このリバイバルを迎えるために命をかけて主を迎える者は誰かと、主は求めておられるのです。
悔い改めと救いを声高々に語り、兄弟姉妹を主の元に真のクリスチャン(キリストの奴隷)として生きるように導き、主を知らない人々を一人でも主の元に導くために、命をささげる者は誰かと主は渇いてこの地の聖徒達を見つめ、その渇きに答える者を探しておられるのです。
それは牧師、教師である必要はありません。大いなる者である必要はありません。
どれほどに小さい者でも、ただ聖徒一人一人の心を主はご覧になっているのです。

【ヨハネ19:28】
19:28 そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、「わたしは、かわく」と言われた。

【サムエル下23:15,16】
23:15 ダビデは、せつに望んで、「だれかベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をわたしに飲ませてくれるとよいのだが」と言った。
23:16 そこでその三人の勇士たちはペリシテびとの陣を突き通って、ベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水を汲み取って、ダビデのもとに携えてきた。

この地にまもなく主が来られ、すべての者をご自身の元に招かれ、主に逆らう者は裁かれる。その裁きは兄弟姉妹から始まり、その恐るべき主の日の様に「その来る日には、だれが耐え得よう。そのあらわれる時には、だれが立ち得よう。(マラキ3:2)」と語られるほどの日であるということを知る者は、主の渇きがなぜそれほどに深いものであるのかということを知るでしょう。

だから、
主のこの渇きに命をもって答える者は誰でしょうか。
主のリバイバルの日のために命をささげる者は誰でしょうか。
共に応答の祈りをささげましょう。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【ルカ1:13-17】
1:13 そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。
1:14 彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。
1:15 彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、
1:16 そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。
1:17 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。

【マタイ3:7-12】
3:7 ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。
3:8 だから、悔改めにふさわしい実を結べ。
3:9 自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ。
3:10 斧がすでに木の根もとに置かれている。だから、良い実を結ばない木はことごとく切られて、火の中に投げ込まれるのだ。
3:11 わたしは悔改めのために、水でおまえたちにバプテスマを授けている。しかし、わたしのあとから来る人はわたしよりも力のあるかたで、わたしはそのくつをぬがせてあげる値うちもない。このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう。
3:12 また、箕を手に持って、打ち場の麦をふるい分け、麦は倉に納め、からは消えない火で焼き捨てるであろう」。

【黙示録11:3-13】
11:3 そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。
11:4 彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。
11:5 もし彼らに害を加えようとする者があれば、彼らの口から火が出て、その敵を滅ぼすであろう。もし彼らに害を加えようとする者があれば、その者はこのように殺されねばならない。
11:6 預言をしている期間、彼らは、天を閉じて雨を降らせないようにする力を持っている。さらにまた、水を血に変え、何度でも思うままに、あらゆる災害で地を打つ力を持っている。
11:7 そして、彼らがそのあかしを終えると、底知れぬ所からのぼって来る獣が、彼らと戦って打ち勝ち、彼らを殺す。
11:8 彼らの死体はソドムや、エジプトにたとえられている大いなる都の大通りにさらされる。彼らの主も、この都で十字架につけられたのである。
11:9 いろいろな民族、部族、国語、国民に属する人々が、三日半の間、彼らの死体をながめるが、その死体を墓に納めることは許さない。
11:10 地に住む人々は、彼らのことで喜び楽しみ、互に贈り物をしあう。このふたりの預言者は、地に住む者たちを悩ましたからである。
11:11 三日半の後、いのちの息が、神から出て彼らの中にはいり、そして、彼らが立ち上がったので、それを見た人々は非常な恐怖に襲われた。
11:12 その時、天から大きな声がして、「ここに上ってきなさい」と言うのを、彼らは聞いた。そして、彼らは雲に乗って天に上った。彼らの敵はそれを見た。
11:13 この時、大地震が起って、都の十分の一は倒れ、その地震で七千人が死に、生き残った人々は驚き恐れて、天の神に栄光を帰した。

【サムエル下23:1-17】
23:13 三十人の長たちのうちの三人は下って行って刈入れのころに、アドラムのほら穴にいるダビデのもとにきた。時にペリシテびとの一隊はレパイムの谷に陣を取っていた。
23:14 その時ダビデは要害におり、ペリシテびとの先陣はベツレヘムにあったが、
23:15 ダビデは、せつに望んで、「だれかベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水をわたしに飲ませてくれるとよいのだが」と言った。
23:16 そこでその三人の勇士たちはペリシテびとの陣を突き通って、ベツレヘムの門のかたわらにある井戸の水を汲み取って、ダビデのもとに携えてきた。しかしダビデはそれを飲もうとはせず、主の前にそれを注いで、
23:17 言った、「主よ、わたしは断じて飲むことをいたしません。いのちをかけて行った人々の血を、どうしてわたしは飲むことができましょう」。こうして彼はそれを飲もうとはしなかった。三勇士はこれらのことを行った。