わたしの神

2015年05月21日 21:35

【イザヤ41:10(新改訳)】
41:10 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。

私達が主に救われクリスチャンとして生きていく全ての過程が、全く平穏なものであったら確かにどれほど楽なことでしょう。
しかし、主は私達に「もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。
もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。(ヨハネ15:18,19)」と語っておられるように、私達は世にあっては憎まれます。
世にあっては患難にあう(ヨハネ16:33)という、残念ながら私達には望ましくない環境の中に生きています。
ですから、私達は目の前の現実の厳しさに恐れ、私達に仇する敵の強さに震え、孤独に膝を抱え、言いようのない不安に襲われる日々もあるかも知れません。
しかし主は「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。」と、
もう恐れなくていい、全ての不安を捨て、力強く立ち上がるための理由の全てを、「わたしは有る(出エジプト3:14)」と言われる全ての被造物の根源であられる主ご自身の存在そのものを指して、ともにいるからと言われるのです。
天地万物を造られ、永遠にこの全てを統べ治められる、「わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。(黙示録21:6)」と言われる神であられる方が、ご自身をもって「あなたの神だから」という理由で、あらゆる現実に、もう心揺らし、心を奪われなくてもいいと、語られているのです。
私達の力で強くなれというのではありません。
「わたしはあなたを強め、あなたを助け、」と、神は弱き私達に、主ご自身の大能の力を注がれ、私達を圧倒的に強め、助けられるのです。
「わたしの義の右の手で、あなたを守る。」と、全地を支え、裁き、統べ治められる、神の義の、完全なる勝利者である方の右の手が動き、私達をあらゆることから絶対的に守られ、絶対的に支えると力強く宣言されているのです。

さあ、だから現実を嘆くのを止めましょう。
自分の小ささ、弱さを悲しむのではなく、この方を私の神であると誇れることを喜びましょう。
この信仰を与えられたことがどれほど大きく価値のあることなのか、どれほど得難い、ただ神のあわれみだけにより与えられた恵みであるのか、その奇跡に、主に感謝をささげましょう。
これほど私達に近く居られ、これほどに愛を注いでくださる神に、心からの信仰をもって寄り頼み、日々、ひとときひととき、祈りましょう。

そうです。主はそのように生きることを私達に求め、また心から喜ばれるのですから。

【1テサロニケ5:16-18】
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。

※今日の聖書の引用箇所です。ご参照ください。

【ヨハネ16:33(新改訳)】
16:33 あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」

【出エジプト3:13-15】
3:13 モーセは神に言った、「わたしがイスラエルの人々のところへ行って、彼らに『あなたがたの先祖の神が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と言うとき、彼らが『その名はなんというのですか』とわたしに聞くならば、なんと答えましょうか」。
3:14 神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。
3:15 神はまたモーセに言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい『あなたがたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である主が、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と。これは永遠にわたしの名、これは世々のわたしの呼び名である。