花嫁よ目を覚ませ

2015年03月01日 18:03

聖書箇所: マタイ25:1-13

主イエスはご自身を待つ花嫁なるおとめ達に「目をさましていなさい。」と語られます。
この言葉は主イエスご自身が幾度も語られていますが、その言葉には終わりの時(あるいは主の時)ということが関連します。
確かに花婿を待つ十人のおとめ達は皆花婿を待てず眠ってしまうのですが、花婿が来られ迎える時には一様に目を覚ますのです。
そして、残念ながらこの国の罪を重ね、誤った選択をいくつも重ねようとしている姿には終わりの時の様相と非常に重なるところがあり、さらにはそれに関連して世界に目を向けても、同様に終末へと時代が向かっている傾向を見るのです。
聖書は目を覚ますと言うことを、霊の目、信仰の目を開くという意味で語られています。信仰によらなければ、地上の事しか目に映らず、神の国を見ること、天を見ることはできません。
しかし信仰によるのであれば、私達には自然と永遠を思うおもいが与えられ、天の前味を祈りの中や礼拝の中に感じていくのです。
このように聖霊に満ち、主との豊かな交わりの中で自然と知りうる信仰の目。
それは同時に全地に遣わされた主の目であると聖書は語ります。
主のまなざしで全地を見張り、また主のまなざしでいつも見られている(見守られている)のがその主の霊(主の目)を与えられている教会、私達なのです。
主は私達に世の目、地上を見る目ではなく、主の目、天を見る開くように、目を覚ましていなさいと語られます。
主が来られる日が近いから、目を覚ませと。
今回は目をさますということをテーマに主の御思いに耳を心を傾けていきたいと思います。


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