神の知恵を得よ

2016年04月24日 20:19

聖書箇所: ヨハネ5:39ー44

もしも私達が主の御言葉である聖書をそのまま私達の常識や理解の範囲だけでつまり私達の知性によって知ろうとし、あるいはそのような方法で御言葉を知っているというのであれば、それは神の御言葉を表層で撫でているようにしか理解しないで満足していることと同じでしょう。
しかし、主は主ご自身を愛し、主を知ることに渇き求める者にご自身を現したいと、私達にさらに親しく臨み、また私達にさらに主に近づくよう望まれます。
かつてイスラエルの教師であったニコデモに、「これぐらいのことがわからないのか。【ヨハネ3:10】」と語られ、人の知性による理解が神の与えようと望まれておられることに全く届いていないことを、明らかにされました。
それはまさに天の知恵であり、私達がいくら地上から積み上げた信仰でも届くことのないものであるということなのです。
しかし主ご自身が天から下られたからこそ天のことを語られたように、まさに私達はこの内に神のロゴス(御言葉)であられる主イエスご自身を命として与えられているのです。
そしてその聖霊こそ、「神の国をつぐことの保証【エペソ1:14】」として与えられている証印であって、神がご自身のご計画の結論として用意されている、天国が完成する姿を、いまこの地上で先取って味わわせるものであるのです。
神はそのことによって、すでに御国がこの聖霊を通してこの地に来ていることを顕現されようとされ、またこの神の国が来ているからこそ、悔い改めてその内に入るようにと、つまりは私達に、ご自身が地上に居られる時に語られた神の国の福音を授け、これを宣べ伝えることを望まれているのです。
だからこそ、この天国をこの地上で味わい知ることなしに、どうして神の国の福音を語ることができようかと言われているのです。
まさにリバイバルとは神の御言葉と聖霊が力をもって溢れ働かれる時。
主はその時が来ているからこそ、私達に主を愛するように、主の御言葉を愛し主を求めるように渇き求めよと、強く私達に願われているのです。
この恵みの時に、主の御心を深く受け止め、主の御言葉を渇き求める歩みに一歩踏み出そうではありませんか。


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